大学時代に何をやっていたほうがいいですか?というつまらない質問なんてするな
この前、僕のいる会社を受けている学生(就活生)と話をしていた時に、「大学時代の残り1年で、どんなことをやっていたほうがいいですか?」と聞かれました。
今僕は、最終選考まで進んだ学生と1対1で面談をして、最終面接をするわりと偉いさん(部長?以上だと思う)の人たちへ「こういう角度の学生です」とか「こういう話し方をしたほうがいいです」みたいなことを言うという役割を担っています。
あとはまあ、選考の前半過程は人事部とか採用担当者の人たちがやってくれていて、後半になるにつれて僕らのような場所にいる人を当てて、グリップをするわけです。要は僕はグリップ要因として人事部にうまく使われているのだけれど。笑
会社的には僕のような人間は使いやすいらしい。
プロパーの20代だし、あとはまあある一定優秀だと思われているらしいですしね。実際問題はさておき。
その学生がどんなレベル感で、うちの会社の中でどうかとか、趣向性とか、そういうものを判断して刺しにいくだけなら、1時間もいらないわけです。
(本当に深掘りをしていく必要があるなら、それはまた別の話です)
一人の時間を持って、本を読もう
この前、上のように「学生時代の残り1年何をやったらいいですか?」と聞いてきた学生は、国公立上位10校に入っているわりとしっかりした学生だったのだけれど、やっぱりすごく狭いですよね。
いや、頭は悪くないと思うし、しっかりしているとは思うけれど、やっぱり価値観とかは狭いし、自分自身の中と周りを比較することでしか物事を捉えられないところがあるし、要は人として狭いなあと思うんです。
まあ、就活生としてはいいと思うし、きっと最終面接も受かると思うんですが(というか、そう言うアドバイスを求められたのでしましたが)、個人的に一緒に仕事をしたい人かと言うと、それはまた微妙だなあと。
帰りながら、一体何が引っかかるのかなあと考えていましたが、結論、やっぱり「学生時代の残りに何をやっていたほうがいいですか?」とか、そういうつまらない質問をする人というのは、僕の個人的な感想としては興味ないなあという印象です。厳しいかなあ・・ごめん。
僕自身が学生時代とか就活時代にどうだったかとかは一旦おいておきますが、少なくとももう少し価値観の幅は広かった。
いや、めちゃくちゃ狭かったよ?
と言う人もいるかもしれませんが、次元が違う話をしている。笑
俗世のことに関しては偏狭的だったかもしれませんが、そうじゃない領域に関しては、わりとオープンエンドの価値観を持っていたと、少なくとも自分ではそう思っていて。
やっぱり、本を読みましょうよ。
話をしたら、一瞬でわかるしね。そういうのは。
教養とは、本を読む習慣のことです。
読んだ分だけ自分自身の足元に積み重なって高みとなり、高い場所から遠くまで世の中を見つめることができるようになる。そして思考が自分自身の中に積み上げられていきます。
そういう思考を自分の中に積み重ねてきた人というのは、やっぱり違います。それは年齢じゃないんですね。
今は時代だと思うんです。SNSで情報にも気軽にアクセスできるし、「大学時代はできるだけいろんな人にたくさん会ったほうがいい」というアドバイスはたくさんありますが、僕は個人的には微妙だと思っている。
会いたいならいろんな人に会えばいいと思いますが、「会っておいたほうがいい」とか、そういう話は微妙だと思うんだよなあ。
そもそも、自分よりレベルの高い人とか、ちゃんとした大人の人たちには、やっぱり「学生だから」という理由だけで会うことができるほど、世の中の大人は暇じゃない。
オブラートに包んでいうと、「学生だから」で会える人たちというのは、自分たちと同レベルの人たちが、何か意図を持った社会人であるということ。
ちゃんとした人たちと出会い、そのご縁を続けていきたいと思うのならば、やっぱり成長しなければ通りすがりです。
そして、一人の時間を持たなければ成長はない。
一人の時間をちゃんと持って、本を読もう。スマホもSNSもいいけれど、そういうことをしなければ、一生ステージは変わらないよ、と僕は思うのです。
印象に残らずに埋もれるなら、嫌われてもいいから刺しにいく覚悟を持て
ちょっと就活的な話をすると、「いい子で優秀」という就活生は世の中にごまんといるので、完全に埋もれる。
嫌われてもいいという表現はあれですが、ようは「迎合するな」ということ。
就職活動を一歩めの仕事と捉えると、迎合した仕事をするくらいなら、自分自身の論をもってやろうよ、と思う。
実力がないうちは愚直にやることは大切。素直さも大切。でも、自分の中に論は持っていなきゃいけないと思うのです。