何者かになりかけの自分と向き合う
何者でもない自分自身に対して、閉塞感を感じている今の場所に対して、次の一歩を見出しきれないままもがいている。
そんなくすぶりというか、やるせない表現できない感情を持って過ごしていた学生時代。
あれから就職を機に東京、大阪、そしてまた東京と、この6年弱もの間、ひたむきに走り切ってきました。
気づけばいま、この大都会東京の真ん中で、あの頃みたいな燻りの感情は薄く消え、忙しさと充実感を両手に抱えながら立っている自分自身に気がつきました。
物事を書く、生み出す。心の葛藤と鬱憤をぶつける対象がなかったからこそ、僕はこのブログを10年以上も書き続けられたのだと思う。
自分自身を表現する手段が他になかったから。
でも、ここ数年は時間のタイトさにかまけて、そして何よりも自己表現をする手段が他にも増えたからこそ、何かを書いて自分自身の内側と向き合うということをしなくなっていた。する必要がなかったのかも知れません。
ふと、時間ができて、空白の時間に自分自身と向き合うようになって1ヶ月。
ようやく、自分自身の感情と環境が「書く」ということに向き合える状態になってきたように思う。
ひとりの時間、その時間に流れ込んでくるのはあの頃見た夢と、くすぶりの感情。
でも、あの頃みたいに何もない、力も実績も経験もない、という状態とは少し違った種類のもの。
30歳を迎えるまでに、たった6年弱だけれど、たくさんの修羅場を潜ってきた。
まだまだだけど、自分自身の足でこの街に立つということができているし、今は一人じゃない。仲間もクライアントも応援してくれる人たちもいる。
まだまだ何者でもないけれど、何者かになりかける一歩を踏み出したような気がしていて、今の僕だからこそ書ける文章があるのだと思っている。
学生時代にこのブログを書き始めて、このブログは一生書いていこうと決めた。
30代、40代になってもその時々で感じたこと、見える景色を書き綴ってありたいと思う。
数年来に、僕はまたあの懐かしい、感情の行き場を失うような感覚を覚え始めているわけで、これはまた人生のステージが変わる合図なのかもしれない。