コロナ時代に必要な成長スキルは「文章力」である
僕のブログを読んでくれている後輩から、
「ゆってぃさんのブログをいつも読んでいて、記事の最後に内容を踏まえたアクションプランを加えてほしいです!」
「もちろん自分で考えるのも重要だとは思うんですけど、具体の投げっぱなしで終わってるので読後、知識が増えた満足感はあるんですけど、じゃあそれをどう使うのか?っていわれると悩んじゃう感じがあって」
というお言葉を頂戴しました。笑
ちょっと意識してブログを書いてみようと思ったわけです。
何から、どう書こうかな?と思ったんですが、そもそもそのこと自体を書いてみようと思って筆をとっています。(パソコンに向かっています)
会議とは「いつまでに・誰が・何をするのか」を決める場である
僕が「アクションプラン」と聞いて連想したことは2つです。
1つは、仕事の会議の中では必ずアクションプランを決めるのだということ。
もう1つは、僕が書いている文章は読み手自身が考えて気づきを与えるものではあるけれど、もう少し親切な文章を書いてみよう、ということです。
僕は日々、企業やビジネスパーソン向けにコンサルティングや研修を行っていますが、毎日行われる何かしらの会議や打ち合わせの「そもそもの目的」を理解していない人が99.9%だということに驚かされます。
仕事において会議や打ち合わせの場というのは、原則として「いつまでに・誰が・何をする」というのを明確にする場です。
「検討します」というのは仕事をしていることには含まれません。
いつまでに、誰が、何を、どのように検討するのか?を決めなければ、仕事をしていないことと同義です。
仮に次の行動(ネクストアクション)を決めて、それが実行できない場合ももちろんあります。
それであれば「なぜ、実行できなかったのか」を考えれば良いのです。ネクストアクションを決めていなければ、実行できなかった理由を振り返ることすらできません。
振り返りとは「次はがんばろう」ではないのです。それは仕事ではなく学生の意気込みです。
「御社に入って、人一倍、がんばります」では意味がないのです。
ネクストアクションを決めない会議も存在する
その上で応用編です。基本がないと応用も何もありませんから、基本的に若手のうちは全ての会議で「ネクストアクションを考える」ということを徹底してください。
会議や打ち合わせが終わった瞬間に、関係者全員に対して
【ネクストアクション】
・いつまでに
・誰が
・何をするのか
ということをメールで送信することを20代のうちの習慣にしましょう。社内・社外は問いません。
会議や打ち合わせ(ミーティング)の中には、
・〇〇のテーマについて意見を出し合う場である
・反論はせず意見を発散させる場である
・情報収集したものを共有する場である
といった種類のものもあります。
例えば企業向けて新規事業開発のコンサルティングプロジェクトを行うときは、最初に必ず「発散フェーズ」を設けます。
時期ややり方はケースバイケースですが、「発散」と「収束」をうまく分けないと、誰でも思いつくチープな議論になりがちなのです。
「この場は、収束は一切考えなくて良いから、十分に思考を発散させよう」という前提のもとミーティングをすることで、参加者全員の中で場の目的が共通になっているわけですから、安心して意見を言い合うことができるのです。
読み手にどこまでも親切な文章を書く
話は変わりますが、僕は僕の書いているブログや文章を読んでくれた人が、1つでも気づきを得てくれて、明日からの行動が1つでも変わればいいなと思っています。
以前は読み手の「行動変容」を重視していましたが、今はもう少し肩の力を抜いて文章を書いていて、なんとなくでもいいから僕の文章を読んで「いいな」と思ってくれたり、元気になってくれたら嬉しいなと思うのです。
文章は人となりです。書き手の生き様や脳味噌が露呈されるのが文章です。
コロナの影響によって、一気にリモートワークが加速しました。
もともとフリーランスや個人事業主的に働いていた人、あとはIT業界の人たちはリモートワークに慣れ親しんでいたはずですが、それ以外の大多数の人にとってはかなり大きな環境変化です。
リモートワークによる変化の1つがオンライン会議ですが、コミュニケーションが対面からオンラインに移行したことで、「文章を書く」ということの技術がより求められるようになりました。
チャットルームの中で仕事のやりとりとを行ったり、関係者に対してメールでやりとりをする機会が圧倒的に増えたために、「自分の考えていることを、適切に文章で伝える」という技術が今まで以上に求められるようになりました。
そして文章力は露骨に地頭の良さが問われますから、メール1本でも「あ、この人はこの程度の仕事しかできないんだな」ということが露わになるのです。
今までなら対面のミーティングの中で「まあ、よろしくお願いしますよ」というどんぶり勘定的なコミュニケーションをとっていてもバレなかったわけですが、メールなどの文章コミュニケーションに変化した瞬間、実は何もしていなかった人なのだということが一瞬でバレてしまうのです。
今の時代は「動画の時代」と言われていますが、動画や音声は間違いなく大きな市場ですが、文章を書く・読むというコミュニケーション自体は普遍です。
一方で明らかに文章能力が低い人種も多く存在し、その比率は多くなっていくわけですから、これからの時代はさらに「ちゃんとした文章を書ける」人の価値は右肩上がりになっていくことは間違いありません。
文章の何がいいって、時間当たりの情報量が動画や音声よりも格段に多いことが挙げられます。
1時間の講演を動画や音声で聞くのは1時間必要ですし、音声を2倍速で聞くことは無理なので、速度を上げて再生したとしても最低45分くらいは必要なわけです。
これが文章で書き起こしをし、要点をまとめた場合は、10〜15分程度もあれば十分すぎるくらいなのです。時間当たりの情報量で考えれば3〜4倍もの効率性があるわけですから、頭の良い人は必然的に文章(テキスト)を読んでインプットをしたり、思考したりするわけです。
これが1年、5年、10年単位で考えたら、「文章が読める頭の良い人」と「動画しか見れない頭の悪い人」の距離は、無限に広がっていくことは容易に想像できるはずなのです。
僕のブログでは、読み手に今以上に親切にありたいなと思うわけです。
親切にというのは、初めて僕の文章を読む人であっても理解できるように書きたいですし、背景を汲んで平易な日本語で書きたいと思うし、「じゃあ、明日から何をすれば良いのか」ということが具体的に1つでも分かるような内容を書こうと思うのです。
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いかなるミーティングでも「いつまでに・誰が・何をする」のかを明確にしよう。1年継続すると景色が変わります。