『明け方の若者たち』(カツセマサヒコ著)を読んで

書評(という名の感想文)

久しぶりに日曜日の夜に、最寄駅のマクドナルドからこのブログを綴っています。

今日は日中、ひたすら家のことをしたり、本を読んだりしながら過ごしていたのですが、夜になるとどうも1人で過ごしていられなくなって、最寄駅のマクドナルドへやってきました。

ここ数ヶ月のコロナの影響で、外で本を読んだり、こうしてブログを書いたりする機会はめっぽう減ってしまいました。

つい去年までは毎週行きつけのカフェに行って本を読み、そして決まって幾つかブログを書くことが習慣だったのですが、行きつけのカフェも無くなってしまい、本を読んでパソコンに向かうのはもっぱら自宅の机でのみになりました。

こうして夜のマックやファミレスを訪れる習慣は、大阪に来てからの3年間も定期的に続いており、一人の時間でありながらも、誰も自分という存在を気に留めることなく世界を眺められるという都会感が妙に心地良くて、妙に吸い寄せられるのです。まるで夜のコンビニの蛍光灯に吸い寄せられる虫になった気分。

都会感の良さって、街に人がたくさんいながらも、社会が自分という存在を一向に気に留めない感じの心地よさを指すのだと思う。特に夜のファミレスなんかはそうだよね。

こうして少しばかりエモい気分になるのは、決まって夜の一人の時間。

明け方の若者たち

僕の好きなライターさんの一人に「カツセマサヒコ 」さんという方がいる。

TwitterなどのSNS界では知る人ぞ知るという方で、彼の綴るエモい文章は、世界を切り取って若者たちの心を震わせる。

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」
その16文字から始まった、沼のような5年間。

というキャッチフレーズからなる、カツセマサヒコさんの新しい小説『明け方の若者たち』を読んだ。
ヘンな飲み会で出会って始まった、一人の「僕」と、大好きだった「彼女」との物語。

明大前で開かれた退屈な飲み会。そこで出会った彼女に、一瞬で恋をした。本多劇場で観た舞台。「写ルンです」で撮った江ノ島。IKEAで買ったセミダブルベッド。フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり。
世界が彼女で満たされる一方で、社会人になった僕は、”こんなハズじゃなかった人生”に打ちのめされていく。息の詰まる満員電車。夢見た未来とは異なる現在。深夜の高円寺の公園と親友だけが、救いだったあの頃。
それでも、振り返れば全てが、美しい。
人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。

今までたくさんの恋愛小説や映画を観てきたけれど、この物語はまた違った意味で感情を揺さぶられる良さがある。

設定や描写がいちいちリアルで、明大前の沖縄料理屋さんでの出会いから、コンビニで買ったハイボール片手に公園で語り合う様。

初めてのデートの待ち合わせは下北沢のヴィレッジヴァンガードで、彼女が観たいと言っていた演劇を見て、居酒屋で飲んで、ホテルに行って初めてのセックスをして。

一人暮らしを始めた「僕」が住む街は高円寺で、そのアパートには彼女との思い出がたっぷりと詰まっている。 

あまりのリアルさに気持ち悪さほど感じさせられるのだけれど、そのリアルさは著書のカツセマサヒコさんの体験だからに違いない。もちろんそんなことを語るのは野暮だけれど。

カツセマサヒコさんはこの本を書くために物書きになったに違いない。
20代にこんな恋愛をしていたのならば、その次に愛せる人に出会えるなんて思わないもんね。

10年以上の時間がないと、痛くてこんな物語を綴ろうなんて思わないはずだ。
僕がカツセマサヒコさんの立場なら、この文章を世に出せただけで、もう死んでもいいって思えるくらいだと思う。

 

僕が好きな恋愛小説はダントツで村山由佳さん「天使の梯子」という物語なのだけれど、この『明け方の若者たち』はそれに匹敵するほど心を揺さぶられる小説でした。

本気で誰かを好きになるって、心がキュッと痛くなることを教えてくれる物語。