世の中のタブーをちゃんと知ろう

日々徒然

つい先日、面白い議論をしたので書いてみたい。ポジティブな話なので、是非読んでみて欲しい。

文脈は割愛するが、僕が主張したのは「国民の大半の人にとっては、200年かかっても難関国立大学合格レベルの学力を手に入れることは能力的に不可能だ」というもので、そこから言いたかった帰結としては「幸せに生きるためには、自分自身にとって最適な場所を適切に選ぶことだと思う」ということ。

人生では場所選びが大事だと思うということは僕のブログで何度も書いている話ですが、この部分は僕の意見です。主観なのでいろいろな意見があっても良いと思うのです。

この話をしていたのは、僕の中の良い2人の大人なのですが、前半部分に反対され「基本的に多くの人は勉強をちゃんとすれば大学合格水準の学力を身につけることができる」と言われたので、僕が「無理だと思いますよw」という話をしました。笑

 

会話から少し切り取られた文脈ではありますが、(上のうち1人が京大法学部卒なので)例えば難関国立大学では文系でも数学の2次試験が科されるよね、という話から発展しました。

彼の考えとしては、
・大学入試レベルの数学力は基本的に「記憶の積み重ね」をすれば到達する
・約20年間(18年間くらい)でそこに合格できる人もいるし、時間をかければ多くの人は到達できるはずだ

というものですが、僕の考えとしては
・確かに水準以上の頭脳を持つ人にとっては「たとえ数学であっても記憶の積み重ね」で良く、例えば「青チャート」と「赤本(大学の過去問)」をきちんとやれば、合格水準まで学力を上げることは可能
・ただし、上記ができるのは極めて限られた人であり、世の中の9割の人にとっては合格者の10倍の時間(=約200年)をかけても、難関大学水準なんて到底届かない
・「記憶で良い」というのは頭の良い人の理論であり、その中にはもちろん「理解」の過程が含まれているが、世の中の9割の人は「理解」ができないと思う
・「記憶力」でどうにかなると思っているのは、恵まれた数%側の人だからである笑

という話をしました。

もちろん正解不正解はいろいろ考えられますし、いろんな立場や考えがあるので一概には言えませんが、ひとつ興味深い議論として書いてみました。

さて、ここからがこのブログの本題。

日本人の3人に1人は日本語が読めない

大人になれば誰でも薄々気づいている事実というものがあります。

それは「容姿は遺伝する」し「知能指数も(大半は)遺伝する」ということに始まる、世の中のタブー。

環境は大事だけれど、努力ではどうにもならない世界があるというのも事実。
野球やサッカーや音楽や芸術などでは「センス」とか「才能」という格差があることが当たり前なのに、どうして日常に近づくものほど「遺伝子格差」から目をそらしたくなるんだろうね。

タブーとはそういうものなのだろうか。

さて、それら世の中のタブーを統計データに基づいてバッサリとやってくれたのがこの本。興味がある方は是非手に取って読んでみて欲しい。


(僕も含め)多くの凡人にとっては目を伏せたくなるような事実が、これでもかという統計データに基づいて述べられている。

例えば、この本に書かれている衝撃的な事実を少し紹介したい。

「PIAAC」と呼ばれる、OECD(経済協力開発機構)主催の国際調査で「16歳から65歳の成人を対象として、社会生活において成人に求められる能力のうち、読解力、数学的思考力、ITを活用した問題解決能力の3分野のスキルの習熟度を測定する」ことを目的に実施されたものが議論のプロローグ。

テストの実施内容としては例えば、「図書館のHPにアクセスし、そのリストにある本の著者名を回答する」という問題は27.7%の人が間違うし、「設問と本の概要を比較する」という続問は76.3%の人が間違う。

全国中高生に向けた「基礎的読解力」の調査によれば、3人に1人が簡単な問題文が読めないという話もある。(別の記事参照・・こちら

あるいは、会議室予約の申込もメールの処理ができるのは日本人全体の約8.3%である。

などなど・・

中略するが、この統計から言える結論は、

・日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない(=理解できない)
・日本人の3分の1以上が小学校3〜4年生の数学的思考力しかない
・パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない
・65歳以上の日本の労働人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない

というようなことになる。「まさか・・」と思うのは、この文章を読んでいるあなたが、比較的知能やリテラシーが高い人たちの集団の中で生活をしているから、ということになる。

ちなみに統計が主張しているのは「今の日本人が、文章が読めなくなった」のではなく「前から日本人の3分の1は日本語が読めなかった」ということなので、今の教育体制を(昔と比較して)一概に批判できるものでもなかったりもする。

 

こういうタブーに触れるほど「やっぱりそうだよね」と思うし、それでも先進国諸国と比較すると日本人の正答率は比較的高いので、むしろ「文章の読めない人」が先進国にもたくさんいることからすれば、文章力なんてものはもはや邪魔なものなのかもしれないとさえ思えてくる。。(YouTubeなどの動画が流行るのもわかるよね)

ちなみにYouTubeのような動画コンテンツは今後も伸びると思うし、見るのは楽しいけれど、一方で情報を効果的に収集するというツールとしては不便だったりもするので(単位時間あたりの収集情報量が文字に比べて圧倒的に少ない。一時間の講演を聞くのは一時間かかるが、文字だと15分以内には読める)、僕個人的には書籍やネットなどの文字情報が有意だと思っているのだけれど・・

文章が読めない、理解できない、という人たちが多いという統計的事実が表しているのは、2020年現在とこれからの知識社会に適応できるのは全体の1割強しかいない、という衝撃的な事実。

何が言いたいのかというと、結論、事実を受容したうえで、自分自身の土俵を見つけた方が幸せなのではないか、という僕の意見です。
考えることはいろいろありますが、それはまた別の記事で書ければと!

読んでくださって、ありがとう。

 

興味があればこちらもどうぞ。