僕の苦手な人

日々徒然

「こういうタイプが苦手って、ある?」
と聞かれた。ちなみに恋愛の話ではない。

「こういう人と話すのが苦手」だとか「話すと緊張する」という人は、基本的にはいない。

すごい経営者、社長さんとか、有名な人とか、多くの人向けに話すとか、そういうのも特に何か思うことはない。尊敬はあっても畏怖はないのだ。

唯一、相対した時に「背筋が伸びる感じがする」のが「その道何十年の職人さん」というと、この感覚がわかってくれる人はどのくらいいるだろうか。

例えば、モノづくりをしている人。

日本には、職人と呼ばれる人たちがいて、何十年とその「道」を極めている人たち。

陶芸でも画家でも作家でもアーティストでも料理人でも、それにはそれの「道」があり、その「道」を歩き続けて極めている人に向けては尊敬と同時に畏怖の念を抱かずにはいられない。

自分自身がそういう「職人として生きる」という生き方に憧れているからだろうか。

10年やればスタートライン

実は上のことに僕は大学時代から薄々気付いていた。
というのも、ありがたいことに大学時代からすごい大人の人たちに会うことが多くて、実際にそういう人たちと話をしているともちろん勉強になるし、「すごいなあ」と思うのだけれど、何かが違うのだ。

その「何か」がなんなのか、という答えは、大人になってから気付いた。
それが答えだったのだ。

一方で、職人を生業(なりわい)にしている以外の生き方の人でも、たとえば趣味の音楽を30年続けていて、というような人には「ああ、すごいなあ」と感嘆の声が出てしまう。

趣味でも好きなことでもなんでもよくて、それに没頭していて気づけば何十年というような在り方が、僕の中でのカッコイイなのだ。

例えば「英語の勉強が趣味なんです」という人がいて、週に1回英会話スクールに通っているという意識の高い人よりは、「海外の映画が好きで」と毎週映画を見続けている人や、英語で日記を10年間書き続けているというような人の方が、僕的にはキュンとくる。(なんの話だw)

ようは「好きなことは、すでにやっちゃっている」ということなのだと思う。

誰かに強制されたり、カッコつけて何かをやっているのではなくて、没頭して気づけば10年とか20年という世界観が好きなのだと思う。

僕の中で苦手な人というのは、そういう人たちのこと。苦手と憧れは、裏表なのだ。

 

好きなことは、10年やってスタートライン。