人生は自分ならではの「プチ才能」を探す旅

日々徒然

昨日書いた記事の続きを。

世の中のタブーをちゃんと知ろう

「幸せな人生を送るために、自分自身の土俵を見つける」と書いたのだけれど、そのためにどうすれば良いのかという考え方について。

1、事実を受容して自分の立ち位置を明確にする
2、勝てる土俵(=人の半分以下の力で、人の倍以上の成果が出せるもの)をさがす(→思い出す、やってみる、好きなものを追求する、得意なことを磨く、などなど)

(1と2を見出した後に)
3、2の土俵を掛け算する(「100分の1」の3乗で、「100万分の1」の価値の話)

の3つを書きます。

事実を受容して自分の立ち位置を明確にする

例えば前回書いた記事の「日本人の3人に1人は日本語が読めない」という事実。
「そんなの、嘘だ〜」と思う人もいるかもしれませんが、まずはその事実を受容する。

もしかすると、あなた自身がその「日本語が読めない側」の人間かもしれません。

そうだとしても「いや、私はそんなことはない」と頑張ってみたところでしんどいのです。
であれば、読解力を使わない世界を見出すのです。そういう人は大企業の中で多くの人と物事を前に進めていく仕事は向かないので、例えばフリーランスになるという方法もあるかもしれません。

今の世論とは逆行するかもしれませんが、「努力でどうにかなる世界」で勝負するのではなくて、「世の中はすべて才能だ」と割り切って、自分自身が努力しなてくもいい場所、自分自身が向いている場所を探すと決めるのです。

これは知識の問題ではなく、勇気の問題です。

無意識に人に褒められたことは何か?

「人生はすべて才能説」を幾度となく唱えている僕ですが、それは「才能の大小」ではなく「自分の才能のサイズを知ること」が大事だということを遺銭も書きました。

人生はまるでRPGのようだ

この記事にも書いていますが、勝てる土俵、あなたの才能の源泉は「他の人の半分の努力で」「他の人の倍以上の成果を出せたこと」を思い出すことにあります。

例えば、僕の場合でいうと、

・周りより圧倒的に勉強と言う名のゲームが得意だった
・読書好きだった
・探究心が旺盛だった
・友達がいなかった(いつも1人ぼっちだった)

・普通の世界に混じりたくなくて(混ざれなくて)いつも俯瞰的に世の中を見ていた
・数学やサイエンスが好きだったし、勉強本も、物語も好きだった
・誰よりも大人不信だった

ということが小学生の頃から20歳の間までに、周りの同級生よりもおそらくは秀でていたことだと思います。別に能力ではなくて、正確の問題でも良いのですが。

上のような能力・性格を生かしていまの場所にいるのではなく、上のような能力・性格を「生かせる場所」に立っているということです。

自分の探究心が旺盛なので、没頭できる環境(=周りに干渉されない環境)を手に入れるために、自分の能力的に自分が相対的に上位に立てそうな組織を選びました。
とは言え、世の中のことを俯瞰的に見て、ビジネスや社会を探究できそうな業界、大企業を選んだという話は以前にも何度か書いています。

でも、これが「もっと優秀な会社」とか「もっとハードな業界」とかを選んでいたら、僕の性格も(1人で思索する時間が必要な)働き方も、できなかったと思うのです。

「100分の1」のプチ得意を3つ掛け算すると「100万分の1」になる

もちろん、1つの才能や能力・性格で圧倒的に秀でることは難しいかもしれないけれど、それらを掛け算するという発想が、資本主義社会の面白いところ。

例えば、絵を描くのが好きで、いつもテストの裏に絵を描いて褒められていた人がいたとしよう。

いくら絵を描くことが好きで得意だったとしても、画家としてやっていけるほど世の中は甘くないと。

じゃあ、絵を諦めるのかと言えば違くて、例えば「ポップイラスト」をすごくうまく描く編集者さんになるとか、画家ではなく漫画家に挑戦したけどそれも無理だったのでSNSでイラストを描いて発信するイラストレーターになるとか。
あるいはちょっとでもパソコンソフトが触れたなら、それこそ画像ソフトを扱ってグラフィックデザイナーをやってみるとか。

世の中にはいろんな掛け算があって、コースをずらして勝負してみるという考え方があれば、人生の選択肢は何倍にも広がる。

「探してみたけど見つからない」のであれば、きっとあなたの勝負すべき土俵は「自分で作る」が正解だったりもするしね。

自分ならではのプチ才能を探す旅と、プチ才能を掛け算する楽しみが、人生の楽しみだったりもすると僕は思っているのだけれど、あなたはどうですか。

 

「100分の1」の掛け算は、ホリエモンの『多動力』にも書かれているので興味があればどうぞ。