地震

日々徒然

昨日、2024年1月1日の夕方頃、都内も揺れた。

石川県の「令和6年能登半島地震」と名付けられた地震は、2011年の東日本大地震を思い出させるほどに大きな揺れが何度もあった。

2020年から3年間は世界中でコロナ。
ようやく落ち着いてきたと思い、ここ数年で久しぶりの年末年始感が出ていて、北陸地方に年越し旅行に行っていた人も多いのではないだろうか。

そんな矢先、正月にあれだけの地震が起こってしまうと、2024年も何かあるのかもしれない・・そんなことを思わせる。

思い返せば2011年の東日本大地震の時、僕は18歳。
高校3年生の卒業間近の3月だった。

大学受験はできなかった年だったので、自宅のテレビで押し寄せる津波の映像を見ていた。

ちょうど同級生たちが東京で、国立大学の2次試験や、家探しに行っていた時期。
あるいは僕の友人はすでに浪人が決まっていて、予備校探しにいっていた時期だった。

あの当時はまだ半分くらいがガラケーの時代なので、同級生たちとメールでやり取りをしていた。「地震」がどういうものなのか?そんなことすら知らない10代の春目前のことだった。

東日本大地震で日本が学んだことはなんだろうか。

あれだけの教訓があって、人々の人生を変えてしまった。

この世に絶対的なものはないのだと学ばされた。

宇宙の中の地球があり、その中の社会や経済、人類があるのだということをまざまざと学ばされた。

コロナだってそうだ。SFの世界のようなことが、一瞬にして世界中を支配した。

たった3年前の出来事だ。

偶然というのはない。何かしら必ず因果応報なのだから、結果には必ず原因がある。

僕は社会人になってようやく東京に出てきた。

震災当時、東京にいた人たちの話を聞く機会もあり、僕にとってようやく「他の世界の出来事」から「自分ごと」に少しだけ近づいた感覚。

震災の日、渋谷のビルで仕事をしていて、歩いて帰ったという人の話を教えてもらった。あの時のリアルというのは、なんとも言えないものですね。

人は忘れる生き物だからこそ、生きていくことができるのではないだろうか。

人は忘れる生き物だからこそ、時々、戻って来れる場所が必要なんだろうな。