一歩ずつ。

2019年1月6日日々徒然

視線を上げると、大きな窓の外から雨に滲んだ夕焼けの景色が見える。

ふと机に視線を戻し、次に視線を上げた時には、窓の外は漆黒の暗闇に包まれている。

いま僕は、野暮ったい大学の研究室の一室にいて、窓には自室の蛍光灯の明かりと、自分自身の姿が反射して見える。

一人では十分に広い個室。9月の今の時期、大学は夏季休暇ということで、とても静かな時間が流れていて。

僕のいる学部のフロアには、夜9時を回った後もいくつかの部屋に電気が付いている。学生たちは夏休みを過ごしているけれど、教授の先生方には夏休みというのがないのかもしれない。否、むしろ彼らにとっては、学生に邪魔されないで研究に没頭できるこの時間が、一番の夏休みなのだろうか。

大学の教授という生き方は、ここに来て改めて僕にとって羨ましくもある。自分の本当に好きなことに熱中して過ごす、という生き方は、ある意味僕らの理想の生き方なんだろう。

僕自身、社会にでる半年前になって、あと数年間という時間を、大学で過ごしてみたいという気持ちが芽生えてきていて。

それはきっと、僕が過ごしている今という時間が、仕事をしつつも自分の好きなことに時間を費やしながら日々の生活を過ごしているからなんだと思う。

それは、ぼんやりと憧れていたもので、いざその場に自分が立ってみると、なんとも言えない不思議な気持ちになる。今がしあわせなのだけれど、同時にどこか心が満ち足りない気持ちが、心を行ったり来たりしている。それは心のどこかに、この満ち足りた時の流れに沿って少しずつ前に進んでいくことに対する不安があるからなのだろうか。

この一室は今の僕自身の心をそのまま具現化したような空間である。外で騒がしく過ぎていく喧騒の世界とは、一様に切り離されていて、それがどこか誇らしくもあり、そして物悲しくもある。

全てがプラスマイナスゼロになるように。全てがそれだけで完結しているかのように。物悲しさは、切なさと相まって、綺麗にうつるんだ。

金曜日の夕暮れ時というのはいつでも、いつもより、少し良い服に着替えた人たちが、心の渇きに気づかないふりをして、各々の目的地まで足早に向かっていく。今日がそうならば、明日になると土曜日がきて、そして日曜日になるのかもしれない。僕はどこに向かうのだろう。

ふと顔を見上げてみると、僕は今、一つの都会の中にいて、そんな僕の心の中に、ぽっかりと空虚さが存在する。その空虚さが周りの世界とシンクロしていって、自分の中の世界と、外の世界が混ざりあっていく。そんな感覚で、横断歩道を急ぐ人たちを見ている。大きな通り沿いに立ち尽くしながら、行き交う車が走って、そして止まる。まるで、感情がない何かが覆い尽くしているようで。

一つのビルに入っていく人を眺め続けている。そんな彼を俯瞰的に見ている。

彼らはどんな人生を送ってきたのだろうか。どんな想いを持って、この四角い建物の中に足を踏み入れていくのだろうか。

入って、小一時間が経って、そして入るときよりも少し軽やかな足取りで出てくる。

その一人一人がみな、同じような顔に見えてくる。同じようなスーツ。同じような顔つきをしていて、一様に皆が、まるで自分の人生をこの場所に賭しているような、そんな雰囲気を纏って出入りしていくんだ。

その建物の中で、その場を握っている人たちがいる。

彼らが握っているのは、場の空気感。そしてその場に出入りする人の命。

あなたはそっち。あなたは、こちら。

まるでレールの分岐器を操るように、目の前の誰かを舵取りしていく。

その手には、その場を通っていく人たちの手綱が握られていて、そして彼らが通過した後には、その感触だけが残っている。

場面が変わる。

彼は今、再び大学のキャンパスに立っている。どうやってここまでたどり着いたかは、覚えていないようだ。まるで記憶がどこかに置き忘れ去られたように。

真夜中の大学というのは、いつだっていいものだ。

その日を過ごした人たちの軌跡が、匂いとなって残っている。夜、月明かりの中でキャンパスを歩くと、その日を頑張った者たちの残像に触れているような気持ちになる。

僕はつい先ほどまで、いつもいる場所の、奥の方のテーブルに座り、一人でノートに向かっていた。何を書いていたのかは、はっきりとしていてて、それは、忘れたくない、心に刻んで大切にとっておきたい感情の記憶なんだと。

気づけば、数時間もの間、一人でずっとノートに向かっていたんだ。そして、ふとペンを止めた時に、自分でも驚くほどの感情が溢れてきたようで、どうしようもなくて。

寝たふりをすることに耐えられず、飛び出した僕は、ひたすらに夜の大学を歩き続けていた。ループ道路というのはいいもので、何も考えずとも歩き続けることができる。夜の散歩を楽しむ老夫婦と、ランニングをしている青年に一度だけすれ違ったことを除けば、誰とも関わらずに、一歩ずつ自分のことを考え続けることができるのだ。一歩ずつ。

自分のことを考えてみる。

僕は、一体どんな人なんだろうか。どんな人に、なりたいのだろう。

ただ、変わらず思っていることは、愛に溢れるということ、自由に生きるということは、素晴らしい。ほんとうに、素敵だと思う。僕も、愛に溢れた、優しい人間でありたい。

愛に溢れた人は、きっとすごくさみしい想いを経験したことがある人。それは、愛を欲する気持ちと愛おしさを知っているから。さみしさを乗り越えた分だけ、愛情深くなれる。

優しい人は、傷ついたことがある人。それは、人の心の痛みがわかるから。傷ついた分だけ、優しくなれる。

それなら、僕はどうだろう。

それでも、人を信じられるんだろうか。それでも人を愛することができるんだろうか。それでも人に優しくなれるんだろうか。

僕は、そうしたい。そういう人でありたい。そう思っている自分を、大切にしたい。

これから僕は、どこに向かおうとしているのか。ループ道路のように、実はただ歩いているだけで、気がつけば元の場所に戻ってきている。そんな風に想うと、怖くてたまらない気持ちになる。

来年から大都会の中で生きていくことを決めた僕にとって、今の気持ちをこうして、書き綴っておくことは、とても大切な気がするんだ。日常という濁流に飲み込まれ進んでいく中で、忘れてはいけない、大切なものを、記憶の中に残しておきたい。