物事を構造的に考える力の基礎は公文式で学んだ!

日々徒然, 学生時代

僕の強みは「構造把握能力」だと以前記事で書いたことがあります。

どこでどうやって身につけたものなのか?と考えてみました。
直近ではもちろん、大学で物理学という学問を学んでいたときに身につけたものです。

でも、やっぱり僕は大学に入る前から数学が得意だった。
センスとか直感というセンスはなかったけれど、論理的、構造的に考える思考の枠組みは身につけていたのだと思います。

それはなんだ?どこで身につけたんだろう?と思い返してみると、幼少期の公文式だったのだと、今となって改めて思うのです。

公文式の回し者でもなんでもないですが(笑)
ぜひ、子どもの勉強について何かしら考えている人は読んでもらえれば。

数学を使って物事を考える

公文式では「代数」という考え方をとても大事にしていると言います。

算数〜数学の初期段階は「数字を」考える学問です。

でも、高等数学以降で例えば高次方程式とか微分、積分なんかで使う思考は「数学で」考える力です。

微妙な違いですが、ものすごく大きい差異があります。

数字「で」考える力こそ、公文式が提唱している、身につけるべき力のゴール。

それが「代数」ということなのだと言います。

 

例えば、高校入試や大学入試では、数学の文章問題があるわけですけれども、文章問題というのはご存知の通り、日本語で3行とか5行とか文章が書かれていて、その問いに対して解を出していくわけです。

日本語で書かれている文章を、一つ一つその意味を理解し、思考し、数字や式に落とし込んでいく行程こそが「数学で考える」ということなのです。

ちなみに「文章問題」と「計算問題」は全く違います。

ここで言っている「数学で考える」というのは、文章問題の方だというのはお分りいただけるかと。

文章問題を数学で考えて表現をしていく過程で、まさに物事を構造的に考えるという思考回路を(無意識的に)身に付けることになっていたのだと思います。

それが公文式が言っていることなのだと思っていて、僕は3歳から中学時代まで公文式に取り組みましたが、その基礎学力はまさに公文式で身につけたものだと今になって思うのです。

そこは母親に感謝ですね。笑

数学で思考して、日本語で表現する

ちなみに、学校の勉強において最も大切な教科は、一に数学、二に国語です。

一番は絶対に数学です。
何故ならば、論理的に物事を考えることができる人は、絶対に10代の時にちゃんと数学をやっています。

別に数学の天才である必要はないし、大学は理系に行けとは言いませんけれども、せめて中学卒業レベル(高校入試水準)の数学はきちんと学んでおくべきだし、できればセンター試験レベル(文系数学でもいいから)を身につけておくと、社会に出てから良かったと心の底から思うはずです。

いま、まだ学生の人たちは、絶対に数学から逃げては行けないですし、子供がいる人は自分の子供には数学こそ学ばせるべきで、せっかくなら一緒に学びましょうよ。一緒にやると自分も勉強になる、子供は楽しい、一石二鳥です。

物事を考える枠組みがあるという前提で、それを相手に伝えるだとか、自分の考えていることを表現するのはまた別の話で、それこそ国語力だと思っています。

文章力、語彙力、などはもちろんのこと、分りやすく伝える構成なんかは(数学力とも紐づくわけで)たくさん本を読むだとか、ちゃんとした日本語を話す環境にいるだとかによって、身につけていく財産になるのだと思うのです。

いま、このブログを書いていて思いついたことなのですが、忘れないうちに次のブログで書くテーマをメモしておこうと思いますが、
子供の教育において大事なこと。子供がちゃんと思考力をつけたり、ちゃんと物事を考える人に育てようと思ったときに、これだ!と僕が思うポイントがあります。

それは「家庭内の語彙力」だと思っていて、親や周囲の環境がどの水準の会話をしているのか。どのレベルの語彙を使って話をしているのか、ということ。

ようは「大人の言葉で話す」ということ。

これについてはまた、別の記事で書こうかな。
今回はここまで。読んでくださってありがとう。