自分の強みは「構造把握能力」だったと社会人になって気づいた

思うこと

就活時代に語っていた、僕自身の強みというのは「やりきる力」や「物事を前に進める力」というものでした。
ですが、社会に出て、知らず知らずのうちに僕自身の強みになっていたところは、学生時代に思っていたそれとは全く異なるものだったのです。

僕は学生時代、あれだけ周りの学生に対して「自分が思っている”強み”と、社会に出て評価されるものは違うのだ」という話をしていたにも関わらず、いま僕自身が社会の中で価値だと評価されて、その価値の対価としてお金をもらっている部分が全く違っているという事実に、改めて驚かされているのです。

よく、就活生の人たちに話をするのですけれども、みなさんが社会に出て、お金をもらうということは、「成長したから」とか「人脈が広いから」ということが理由なのではないのです。
お金は会社からもらうのではなく、お客さんからもらっているのだという前提があり、その中で「なんらかの価値」を提供したらからこそ、その対価として「お金」をもらっているのだという、当たり前の事実を受容することからスタートです。

当たり前だからといって、じゃあ社会に出ている人たちの多くがそのことをわかっているのかというと、そんなことは全くない。
むしろほとんどの人たちは「自分の提供する価値」なんていうものは、意識したことすらないのです。

自分の給料は「会社からもらう」ものだと思っている。

それはそれでいいのですけれども、間違った努力をしてしまうよね?という話です。

自分にとっては当たり前だけれど、他の人に褒められたところってなんだろう

なんどもブログで書いていますが、僕の大学時代の専門は物理学です。

「理学部の物理学科」というなんとも言えない領域を、4年間ひたすらやりまくりました。
他の人から見ると「何をやっているのかわからない」という微妙な領域かもしれませんが、僕自身はものすごく物理学にのめり込んでいて、学問に没頭をした学生時代を過ごしました。

さて。ザ・理系の学生時代を過ごした僕ですが、今は全く違う「経営コンサル」という領域の仕事をしているわけです。

就職活動をしていた時には、別にコンサルの仕事をしたかったわけではなくて、なんでもいいけれど、将来物書きになるために、いろんな領域を見れるような仕事をしたいという軸で、あらゆる業種業界の企業を見ていたわけです。

他の就活生の例に漏れず、圧倒的に自己分析をしまくっていたのですが、自分の強みというものは、今の強みとは全く違うものだったなと、今になってわかるのです。

ちょっと脱線をしますが、僕はザ・理系の王道を歩いていたわけで、物理ですけれども物理学を理解する共通言語は「数学」なわけです。

自然科学という対象を相手に、数学という言語を通して理解をする。

その領域に関しては、自分で言うのもなんですが、他の人と比べて、ものすごくできた。笑
理学部を首席で卒業しているわけですから、当然、物理領域も数学領域も、テストはほぼ満点です。
いわゆる「お勉強」は得意で、物理も数学も他の人よりもできて、だけれどもアカデミックでやり続けられるだけの才能はないと思ったから、研究者に残る道ではなく、社会に出るという選択をしたのです。

当時から「よく、勉強ができる」と言われていたし、特に理系学問に関しては誰にでもできるものではない(=自分が他の人より秀でている)というところは自覚していました。
そしてその(無意識的に)他の人よりできた強みが、今こうして活きている。ものすごく活きている。

でも、僕にとっては当たり前すぎて、なんとも思っていなかった領域。
それこそが「構造的に物事を考える」という能力なのです。

体系だって考える力は勉強で培われた

学校の勉強は社会に出てからは、役に立たない。
そういう言葉もよく聞かれます。そうかもしれない。

確かに、直接的に役に立つ学校の勉強というのは、そう多くはないのかもしれません。

「勉強に必要な力」こそ、社会に出て役にたつ。
そういう論議も耳にします。でも、論理的思考力に類する「なんとか力」というものを鍛えるだけなら、別の手段もあるかもしれません。

僕の場合は、結果的にですが、学生生活までの時間は、自分にとって得意なこと、苦手なこと。得意なこと、そうじゃないこと。
学校という社会の中で、そして、日本国における義務教育〜大学生活という社会の中で、自分の立ち位置を見つけることに、とてもすごく有意義な役割を果たしました。

受験勉強もそう、自然科学という学問もそう。
学校という社会の縮図で起こる部活や学校生活という場面もそうです。

僕の場合は、物事を体系だって(論理的に)考えるという思考は、おそらくですが他の人よりも少しばかり得意なことだったかもしれません。

なんども言いますが、じゃあ学問の道でいけばよかったのかというと、直接的に学問の延長で自分の人生を描くということは、無理だったのです。僕の挫折です。

でも、僕は対象をミクロな物質でも、マクロな宇宙でもなく、その中間にある「社会」というサイズに僕の思考性を向けた。
その時に、物事を構造化することができ、その中での課題を仮説立てて解消していく、という僕の(無意識的に)身につけてきた強みが、とても発揮されるということに、今更ながら気付かされたということです。

そのことに気づくことができたこと自体が、僕が社会人としてこの場所に立っていることの価値だなあと思わされるのです。
そして僕が今やっている仕事においては、その力が最大限に価値として評価されているのです。

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結果として仕事の場所以外においても、その力が活かされて、誰かに喜んでもらえるという局面も多くあります。

場所でいうと、僕が今大阪にいる間もそう、帰省してもそうです。

対就活生に向けてもそう、対学生に関してもそう、そして何よりも、会社や組織という対社会に対してもそうです。
ありがたいことに、僕という人間を信頼して、「これ、どう思う?」とか「こうしたいんだけれど・・」というばくっとしたものを問いかける人たちがいる。

その問題を一緒に考えることが、僕の楽しみであり、その結果として「よかった」と言ってくれる思ってくれる人がいるということが嬉しいのです。

結局、僕は「問題を解く」ということ、特に「難しい問題を解きたい」ということなのかもしれません。