1週間に1冊は考えて読む本を読もう

思うこと, 書評(という名の感想文)

ネット社会の発達に伴って、「情報の価値」というものがどんどんとチープになっているように感じる。

スマートフォンを使って、誰でも同じような情報にアクセスできるし、日々SNSやニュースでは大量の情報が右から左へ流れていく。(スマホでは上から下へかな?)

ところがやっぱり便利な情報社会の中でも、情報に流されている人と、流れてくる情報をきちんと掴んで自分のものにしている人。この2人の違いというのは、ネット社会だからこそますます強調されるような気がしてやまない。。

スマホの台頭に従って、電子書籍もかなり発達をしたと思う。

僕は学生時代までは圧倒的に書籍派だった。紙の本ということ。
けれども社会人になって1日の大半の時間を「机の前」ではなく「合間のスマホ」で費やすようになって(内緒ね!笑)、電子書籍もかなり読むようになった。

圧倒的に便利なのはやっぱりKindle。

iPhone1台の中に、何千冊もの本が入るというのは、(一応)アナログ派の僕にとってもかなり魅力的だし、家には本棚もあるけれども、スマホの中の情報源は僕に取っては宝石に見える。便利な時代に生まれたなとつくづく感謝しかない。

考える本を読むことの意味

ネットと電子書籍の発展がそうしていると思うのだけれど、本も実はかなり手軽な情報ソースとして用いられることも多くなったと思う。特に電子書籍では、もちろん紙の書籍を電子化したものも多いけれど、流し読みをする新聞のような感覚で読まれていることも多いんじゃないかな。

本を読んだ方がいいかどうかという議論はいったん置いておき「自分は本を読んでいる!」という人たちの多くは便利な電子書籍を使っていることもよくある。
特に忙しいビジネスマンたちは、合間の時間で手軽に電子書籍を読んでいるのだろう。(僕もそう。忙しいかどうかはさておき・・)

でも、そういう人たちを見ていて少し違和感に感じる部分というのは、やっぱり流し読みをしちゃっているよね、ということ。

電子書籍だから悪くて紙の本なら良いという話ではなく、情報は片手でスクロールするものという習慣がついてしまっており、「思考」ではなく「流し読み」をして情報の素通りが起きているなあと感じることがよくある。

もちろんそれが現代的な情報収集の仕方といえばそうだし、効率的に大量の情報の中から自分に必要なものを選択するためには合理的だとは思う。僕もそういう側面も大いにあると思う。

けれどもやっぱり「知の体力」という意味でいうと、1週間に1冊は、電子書籍であろうが紙の書籍であろうが、じっくりと向き合って「考える」という時間をとることが人生を肥してくれるように僕は思うのです。

 

幻冬舎の三城社長の著書の中に「読書という荒野」という本があるのだけれど、そこには読書の荒々しさというか、自分と向き合うことの厳しさとメッセージが書かれていて、結局最後は自分で踏ん張って思考に向き合うということをしなければ、本当に自分の中に情報や思考を取り入れることはできないのだと。

安易なハウツー本や情報本ばかりを読むのは、ファーストフードを食べているようなものだと思う。
哲学や思想、踏ん張らないと読めない本を、毎日とは言わなけれどできれば1週間に1冊、無理なら1ヶ月に1冊でも良いので、時間をかけて咀嚼してみることで、人間としての厚み深みが変わってくるのではないかと思っている。

1冊の本を何度も読むしか情報源が無かった時代の人たちの真似をするのではなく、過去から学びつつ、現代の文明の益をうまく享受しつつで良いのではないか、と思う僕の思うつらつらでした。