1日にひとつの小さな感動を

書くということ

大人の少年で、僕はありたい。
という言葉でブログを書き始めたのが、確か僕が大学3年生のとき。

それまではなんとなく「日記」形式でブログを書いたりしていたのだけれど、明確に「書くことを形にしよう」と思って書き始めたのが、ちょうどその頃。

このブログのタイトルも「大人の少年で、僕はありたい」というものですが、その頃から変わらない僕のスタンスで書き続けています。

10代から大学生になり、そして就職をして社会人になり、初めての街大阪で独り暮らしを初めて3年目に入ります。
こうやってみると自分自身のライフイベントは変化しているけれど、結局やっていることは変わらないんだなと思っている。

僕は何をやっているかというと、1つはずっと勉強をし続けている。知りたいこと、みたいことがたくさんあって、なんでこういう原理になっているんだろう?ということを広げて、深く掘り下げてみて、自分なりに考えてみて、ということを繰り返しているのです。

なぜか?
それはやっぱり猛烈な「知りたい」という知的欲求と、頭が良くなりたいなと思っているからなんですね。

そしてもう1つは、ものを創っているんだと思う。そういう感覚。
書くという行為はすごくわかりやすいけれど、それ以外でもたくさんある。

今僕の仕事は、企業と一緒に新しい事業を創り上げていくそのお手伝いをしていて、それもまた1つ、ものを創るということなんだと思う。

 

それってどんな意味があるのですか?

という人もいるだろう。実際に言われたこともたくさんある。なんて失礼なんだと思ったりもしたけれど、実はそんなことはなくて、周りから見ていると僕はなんのためにこんなにいろんなことをやっているのか?と思われるのかもしれない。

僕がおかしくて、意味のないことをなんでやっているの?と思う人の方が自然なんだという見方もなるほどあるのかと、そんな風に思ったりもするけれど。

究極は、自己満足なんじゃないだろか。

自己満足ができなくなったら、少年の時間が終わったということ

「大人の少年で、僕はありたい」というのは、ひとつ僕の尊敬する中谷彰宏さんの生き様からすごく影響を受けている。

中谷彰宏さんといえば、1,000冊を超える著書が有名だけれど、人によっては「よくわかんない」とか「ナルシストっぽい」と思っている人も多いんじゃないだろうか。

いま、彼が書いている一冊を切り取ってみると、もしかすると「あんまりよく理解できない」と思う人がいてもおかしくないかもしれない。
それは中谷彰宏さんの生き様がある到達点を超えているから、だと僕は思う。見ている景色が全然違うんだな。

でも、中谷さんの30代の頃の作品を読んでみてほしい。彼のエネルギー、書かずにはいられないというフラストレーションと、それを昇華させて文章から凄まじいほどの生きる力をもらえるのだと思う。

短い言葉で、人の心を動かす。
そのワンフレーズを常に探しているような、そんな生き方。

特殊な役割なんだと思うんです。

 

話は変わるけれど、中谷彰宏さんが昔本の中で「1日にひとつの小さな感動を」ということを書いていた。多分そんな感じの文章だったと思う。

妙に僕の心に残っていて、ああ、そうだなあと。1日にひとつ、小さな感動があれば、幸せな人生だと思えるなと。

感動というのはひょんなことで出会うというものではなく、日々の中から見つけるものだと僕は思う。

あなたは今日、1日の中で「これはよかった」という小さな感動をひとつでも見つけることができただろうか。

大きな感動、大きな幸せを待っていても、探しに出かけてみても、なかなか出会うことができないというあなた。

実は幸せというのは遠くにあるのではなくて、足元にあるのかもしれないよ。

自己満足でいいじゃないか、自分の人生なんだから

「楽しそうだね」と僕はよく人に言われる。
実際、楽しい人生だと思う。色々あったけれども、今はやっぱり楽しい。

僕は就職をして丸2年大阪で過ごして、この4月から3年目になったところ。まだ2年と2ヶ月しか社会人をしていないけれど、やっぱり仕事は超楽しいし、人生も超楽しい。

なぜか。それはものすごく自己満足に生きているからだと思う。

仕事はもちろん、最大限に価値発揮をしていると(自分で言うのもアレだが)思っている。結構稼いでいる方だしね。

でも、じゃあそれが苦痛かと聞かれるとそうではないし、死ぬほど努力をしているか?と言われると、そんなこともないと思う。
この文章を会社の同僚や先輩が読むと「ん!」と言う人もいるかもしれないが、事実なんだからしょうがない。

「知りたい」と「ものを創る」という大きな2つのモチベーションがあって、それが直結しているのが今の仕事だと思う。実際に学生時代からやっていることは変わらない。

自己満足ですか?と言われると、そうだとしか言えない。実際に自己満足だと思う。

でも、いいじゃないか、自己満足で。自分の人生なんだから。

ビジネスもできる少年で、僕はありたい。