やってきたことの正しさが、次のステージに行って初めて認められた気がした

2018年9月20日思うこと

このまえ、僕の大学時代の後輩と電話で話をしました。

大学では、地元では、優秀だと思っていた。
けれど、やっぱり都会に出て勝負をするとなったときに、本当に自分のやりたいこととかが分からなくなってしまった。
色々バランスを崩してしまって、1年間待って、今度は等身大で次に進もうとしているのだと。

年末年始に僕が地元に帰った時に会って話して以来の連絡が、彼からきたというのはすごく嬉しかった。

僕が大阪で1年半になりますが、その時間が彼にとっては大きかったらしく、
「離れてしまったような感覚で、なかなか連絡できなかった」
と言われてしまいました。ごめんね。(そんなことはない!)

やってきたことの正しさが、次のステージに行って初めて認められた気がした

その時に色々と自分自身の10代と、そして大学時代を思い返していました。

なんどもこのブログに書いていることですが、僕は16歳、高校2年生の時に体を壊してしまって、4年間の闘病生活を経て、20歳で大学に入学しました。

僕がいた高校というのは、地元ではわりと優秀な人たちが多く集まっていて、みんな18歳か1浪して19歳くらいには、県外のいわゆるキラキラした大学に進んでいくわけです。

当時の僕にとっては、それがもうたまらなく苦痛でした。

同級生が進んでいくこと自体が嫌だったのではなく、周りが進んでいるにも関わらず、何年も同じ場所にい続けることしかできない自分自身がすごく嫌だった。

10代の多感な時期に、その経験をすることができたことは、今の僕にとってはすごく大きな財産ですが、まあしんどかったですよね。

だからこそ僕は、大学に入学したあとの1年間、何もなく過ごして終わったときは、一人ですごく泣いた記憶があります。1年、何もなかった、って。

最初の1年間は、「明日こそ、大学に通えなくなるんじゃないか」という恐怖がずっとつきまとっていました。ホッとしたんですね。

めちゃくちゃ勉強しました。めちゃくちゃ本を読んだし、友達なんてほとんどいなかったし、図書館に引きこもっていたし、自分の内側にある変な不完全燃焼感をどこにぶつければ良いのか分からずにいた。

そういう くすぶりの時代 というのは誰しもがあるのかもしれませんが、それが僕の原体験です。

その後、ひょんなことから社会とのつながりの中でいろんな経験をし、気づいた就職活動をしていた。

ふらふらと東京での就活を終えて、今の会社に入ることを決めたときは、正直何も感じませんでした。

でも、大学を卒業し、大阪での一人暮らしも決め、東京に行って「ステージが変わった」と思った時に初めて、泣きました。

羽田空港のあの景色は、今でも忘れません。

持っているものをほとんど置いて、次の場所に行ったんだ、次の扉を開けたんだと思った時に、今までのすべてが間違ってなかったんだと心から思えた。

あの感覚を忘れてしまったら、終わりだと思うんです。

人生は、まだまだ長い。

時に背伸びをする時もあっていいと思いますが、等身大で、一歩ずつ進んでいきたいですね。