持ち家 is happinessか?

思うこと

僕の先輩で、今年4000万円ものローン(という名の借金)を組んで、家を買った人がいます。

僕の大好きな先輩なのですが、それはちょっと微妙だな・・と思った。個人的に、ということです。

僕らの会社は30歳前後の中途の先輩たちが多く、結婚や出産、そして家を買う、引越しをするなどのライフイベントが多発する世代が多いです。

僕の両親もそうなのですが、「持ち家こそ、幸せ」みたいな何十年も前の価値観がいまだに受け継がれているところに、日本という国のムラ社会の根強さを感じます。

いいんですよ、人の価値観ですが、20代や30代で数千万の借金をして家を買うことが、本当に幸せなのか?

一企業に定年まで勤め上げる時代はとうに終わっているのに、「ローンが通りやすいよ、やっぱり大企業だね」みたいなことをいう人はまだまだ多いです。

僕は今25歳なので、実際にこれから5年先、10年先に何を思っているのかはわかりません。

ライフイベントとしていろんなことが起こる可能性も十二分にあります。

要は、これがあったらしあわせ、という自分の幸せの基準を持っていることなのだと思うわけです。

自分の帰る場所

よく、僕の母親に言われるのですが、
「家を買うということは、自分と家族が帰ってこれる場所を持つこと」
だと。

確かに、そういう時代もあったのかもしれません。

日本家族的なアットホームさは、いいなあとも思います。

これは人の価値観だと思いますが、それでも僕はやっぱりいろんなところに行けるだけの身軽さは持っていたいし、同じところで何十年も過ごす、なんていうのは無理です。

僕は今住んでいる大阪(いずれ引っ越すと思うけれど)、地元、時々東京。この3拠点をベースに、いろんな街に住んでみたい。

自分の帰る場所は、その都度自分で作ることができれば、と思っています。

それにしても社会に出ると、やっぱり過去の日本の風習が、人生のイベントの意思決定を左右することの多さを実感します。

僕は今日も一人暮らしの部屋で、ヒトリノ夜を過ごしています。