僕にとっての「はたらく」ってなんだろう? 〜勤労感謝の日を前に、考えてみたこと〜

2019年1月6日思うこと

僕は今、大学の図書館の一角で、このブログを綴っています。

図書館に入って、2階の一番奥の方が、最近僕のお気に入りの場所。

できるだけ奥の方、壁側というか、大きな窓がついているほうになるべく近い席に座りたい。

椅子が全部で4つ置かれている、大きな木の机にひとりで、部屋の真ん中を向くのではなくて、外の方を向いて座る。

自分だけの世界に入れるような気がして、居心地がいいんです。

大学に入りたての頃は、よく図書館の3階の奥の席を利用していて、今よりもずっと大きな窓が一面に広がっていて、その窓に一番近い方のテーブル。しかも窓の外が見える方に座って、ずっと本を読んだり勉強をしていたりしたっけ。

陽がいっぱいに差し込んできて、気持ちよくて、夕暮れ時はちょっと眩しかったけれど、それがまたよくて。夕日が沈むと外が真っ暗になっているのも見えて、長期休暇の時は1日中でもそこで本を読んだり、眠ったり、何かを書いたりして過ごしていたことを覚えています。

僕が大学3年生の頃に、図書館の内装工事があって、いまはあの席はなくなってしまって、ちょっと残念に思っています。

窓いっぱいから外一面が見える席をもう一度作って欲しいなと思いながらも、僕はもうすぐ卒業しちゃうので、今年になってよく座っているこの席でいいや、と思いつつも。

今日は火曜日なのですが、明日11月23日(水)は祝日ということで。

金曜日の夜の図書館の雰囲気も好きなのですが、今日はその空気感に似たような感じで。

祝祭日の前日の夜の、大学の図書館はわりといい。

人が少なくて、世間はちょっとだけ浮き足立っているように見えて、そんな中でこの場所だけ外の世界から切り離されているような、そんな感覚がするんです。

勤労感謝の日なんだって。

ふーん。どういう日なんだろう。労働することに対して感謝する日なのかな?

自分にとっての”はたらく”とは

はたらくことって、いいですよね。

特にそれが、好きなことをしてはたらくのであれば、なおいい。

自分の好きな仕事ができて、好きなご飯が食べれて、好きな飲み物を飲むことができて、好きなところに行けて。

そんな日常の中で、自分にとって大切な人がいて、一緒に過ごすことができて、好きな本を読んだり、好きな音楽を聞いたり、時々映画を見に行ったりできれば、僕はそれで幸せなことだなぁと思うのです。

もちろん、いろんなことに挑戦して、大きなことに挑んで、社会を良くするためにはたらくことも、すごいことだけれど。

でもなんだか僕は、自分の好きな仕事や、あるいは好きなものにつながるような仕事をして、結果としてそれが誰かの笑顔になったり、幸せになったりするのであれば、僕はそういう働き方をしたいし、そんなふうに生きていきたい。

夢が小さいのでしょうか?

そうかもしれない。でも、僕にとっては大きな夢なんですけどね。

そもそも夢に大きいも小さいもないのかもしれないけれど。

思えば、僕の就活を通して、本当に社会を良くしたいのか?と問われたことも一度や二度ではなかったけれど、そしてもちろん社会がより良くなるといいなとは思うけれど、正直あんまりそんな大きなことは僕にはよくわかりません。

そもそもより良い社会がどういうものかというのは、今の僕には良くわからない。

多少は思い描くものはあるけれど、広大な理想があるわけではない。

企業として、ビジネス的に優位であることは重要だし、社会的に価値のあることをしていくことはわかるのだけれども。

いっぱい稼ぐ仕組みを作っていくことも大切。それは良く分かる。

翻って、じゃあ僕はどうなんだと言われれば、もちろんお金は稼ぎたいし、自由に生きたいし、あんまり有名になりたいとは思わないけれど、それでも僕自身が残したものが広まっていったり、いろんな人に少しでも影響を与えるものであって欲しいとは思っている。

社会的に大きく価値のあることも、もちろんしたいとは思うけれど、目の前の人を大事にすることは忘れたくないし、結局じゃあお前は何がしたいんだと言われたのならば、よくわからないのかもしれません。うん。

僕はこの1年ちょっと、ずっとHRのインターンシップをしてきました。

そこで掲げていた理想には、すごく共感する。だからジョインしたし、精一杯走り続けることもできたと思っている。

でも、僕自身が個人としてその理想を、つまりは僕が生まれ育ったこの場所にとって、より良いものを残していきたいか、社会を変えたいか、少なくとも同世代の大学生が自分の人生を自分で選択できる社会づくりに命をかけれるかと言われたら、正直あんまりピンとこない。

この場所は好きだけれど、そしてそれは大学生になってようやく好きになることができたのだけれど、でもずっと住もうとは思わないし、ぶっちゃけもういいかなと思ったりもしていて。

じゃあ、お前はなんのためにやっていたのか?と問われると、なんでなんだろう。

お金じゃあない。(もらいすぎだった感はあるので、ありがたいとは思うけれど)

経験?それもまあ、あるにはあるけれど、決定打ではないかもしれない。

自分でも良くわからないんですね。

想いに共感しただけでは、ここまで走れなかったはずなんです。きっと。

そう考えると、じゃあどうやって就職先を選んだのかも、もはやよくわからない。

少なくとも僕は自分自身で選んで、今の就職先の企業に行くという決断をしました。

その理由を聞かれることはよくあるけれど、正直「なんとなく」以外の理由はあんまりないんです。

はたらくこと。しかも大企業ではたらく経験をしてみたかったということ。

そして今まで僕が住んだことのない街で、生活をしたかったこと。特に東京という街で就職する経験は、はたらくことと同時に、暮らし、出会い、生活、その全てが僕の中で大きなものになるんだろうと思っている。

将来本を書きたいという想いがあって、この経験からたくさんの抽斗が自分自身の中につくられるだろうと思ったこと。

辞めるのに、なんの未練もなさそうだと思ったこと。

パッと思いついたのは、これくらいですが。

あ、これを話すとよく「面接では、何をいったの?」と聞かれますが、僕は内定先の面接で、上の理由をちゃんと言いましたよ。本当に。信じてもらえたかどうかはわかりませんが。。

最後の決断は、本当に「なんとなく」です。

***

さて。

「勤労感謝の日」から気づけば長々と書いてきましたが。

結局、自分にとっての「生きること」そして「はたらくこと」を考え続けていくんでしょうね。

と、僕はそんなふうに思っています。よくわからないけれど。

来年の4月、僕はどこで何をしているんだろう。

楽しみだという想いが半分。

もう半分は、それ以外のたくさんの感情が入り混じったものです。

長くなってしまいましたが、読んでくださって、ありがとう。