消費型の遊びと、生産型の遊びの違いは何か。
先日、僕の大学時代の同級生である友人と、久しぶりに話をした中で、とても印象的だった内容が、「遊び」についてです。
その友人は僕と同じく、去年大学を卒業し、社会人になりました。
この1年間、社会人1年生をやってきたなかで、「この1年、どうだった?」というような話をしたわけです。
彼は大学時代まで、とても大人しいタイプの生活をしていた。
地元で生まれ育ち、両親と女性姉妹に囲まれ、自己主張とは正反対の環境の中で大学時代に突入。
どこかのタイミングで自分を変えなければ、ということで、もともと本好きだった彼は、とある時期から積極的に学外へ活動を求めていきました。
いわゆる「大学デビュー」というやつで、ちょうど僕とは学生活動の延長の場で一緒の時間を過ごしたこともあります。
彼が大学時代の後半から、街に繰り出すようになったということは、直接的にも間接的にも聞いていた中で、先日、久しぶりに話をした時も、夜の街に行く前のことでした。
すごく真面目なやつです。
仕事に対し、すごく一生懸命頑張っているということも聞いていました。
同時に、仕事時間外のところでは、いわゆる20代の盛りだということです。
仕事以外の時間の使い方
今から一杯、飲んでくる。
という前に電話で小一時間話をしたわけですが、「最近、仕事以外の時間は何をしているの?」というような話になった時に、彼は「遊び」だと答えました。
いたって真剣です。
全力で、遊ぶ。
なぜなら、例えばコミュニケーション能力を鍛えることに繋がるし、仕事にいきると思っている。
ということは、以前からずっと彼が言っていたことです。
社会人になってからの1年間、さらに真剣に「遊んだ」と。
ただ、彼がいうには、最近、そういう「遊び」がつまらなくなってきたとも思っていて、どうしようかな?
といようなことを、ボソッとつぶやいていました。
僕は大学時代に出会った彼を尊敬しています。
何事も一度はやってみる。
やってみると決めたら、本気で、真剣に、真面目にやる。
自分で決めたことは、やり続けることができるという彼の強さです。
本気で遊ぶ大人は、かっこいい。
僕はそう思っています。
事実、全力で遊びに没頭する大人の人たちを目の当たりにした時に、人生で大切なことは「仕事」と「遊び」から学ぶんだと、教えてもらいました。
ホリエモンこと堀江貴文氏も、全力で「遊び」に没頭するとそれが仕事になる。
だからこそ全力で「遊びにハマれ」と言い続けるわけです。
事実、「仕事」と「遊び」が一体化した人生ほど、人生の醍醐味はないわけです。僕が目指しているのもここですしね。
消費型の遊びと、生産型の遊び
先の僕の友人である彼の話に戻りますが、彼は学生時代から全力で遊んできた。
社会人になってからは(正確には大学時代の終わりころから)仕事に没頭し、そして、全力で遊ぶをやってきた。
けれども、振り返ってみると、そこに意味があったか分からないし、飽きてきている自分もいるという。
僕は、この話を聞いた瞬間に、それは「消費型の遊び」だからでは?ということを思ったわけです。
遊びには、大きく分けで「消費型の遊び」と「生産型の遊び」があるのだと思う。
「消費型の遊び」は恐らく、例えば自分の時間やお金、健康、そして多分もうひとつ何かの要素ーー僕はそれは「心」だと思うーーを使うだけのもので、ある一定の時間が経って残るのは多少の経験と、そして大きな空虚感。
僕の友人である彼が感じているものの原因は、彼の遊びが「消費型」であることなのではないだろうか。
それは恐らく、同じ種の遊びを続けているだけでは埋められないものである・・
一方で、「生産型の遊び」とはなんだろう。
「消費型の遊び」と比べて、そこには明らかに「決定的な何か」の違いが存在する。
例えば、時間やお金などの自分のリソースを使って何かに没頭するのは「消費型の遊び」と同じだと思う。
一方で、それが自分にとって何かを生み出すものとして、自分自身の中に残っているか?ということや、もう一度同じことをしようと思うか?ということ。
あるいは、単なる快楽ではなく、きちんと心のアルバムに残しておける想い出であるかとか、心をすり減らしていないか?とか、そういった類のことが重要になってくるのではないか。
いま、僕はすごく抽象的な議論をしているというのは分かっていますが、「これ!」といった明確な答えがない中で、なんとなくの感覚(けれど、確固とした大切な感覚)をこうして文章書き綴っているわけです。
その違いは人によって違っていて、例えば「お金を稼ぐということ」に繋がるか否かとか、「新しい価値に繋がるかどうか」あるいは「自分の環境を変えることになるかどうか」というものも、あると思う。
それらは多分正しくて、「遊び」であっても「趣味」であっても、同じような議論になるような気もする。
今をときめくインフルエンサー達は、口を揃えて「自分の好きなことをすればよくて」かつ「それを、価値にまで昇華させることが大切」だと言うでしょう。
きっと、それは正しいと僕も思う。
とはいえ、それができない人たちもいると言う社会の事実に目を向けた時、やっぱり「遊び」は大きな意味を持つとも思うし、「生産型の遊び」をすることはこれからの時代、とても大切なのだろうとも思います。
本当の意味で、自分が好きなことを分かっている人は強い。
事実なのは、人生は有限であると言うこと。時間こそが人生であると言うことです。
コネクティング・ザ・ドッツ(Connecting the dots)
今を精一杯やりきれば、その意味はきっと後からわかります。
「あのとき、こうしておけばよかった」と後悔するような人生ではなく、「やりすぎちゃって、ごめんね」と笑える人生を歩みたいですね。
今日も、きてくださって、ありがとう。