10年間の継続が、信頼につながる

2019年1月6日思うこと

自分には、体力があるのだろうか?

と考えさせられる瞬間があります。

例えば、大学生であったら、毎晩夜遅くまで研究室にこもって研究に没頭することも、あるいは、試験前に図書館に缶詰になってノートと参考書に向き合うことも、ある意味ものすごい体力を使うことではないでしょうか。

仕事をする上でもそう。

連日連夜、資料の作り直しを指摘されて、でもそれは業務時間にはできないから、他の仕事が終わってからになってしまう。なぜなら、業務時間はお客さんとのセッションであったり、チームミーティングがあったりするわけです。

それらの仕事を乗り越えて結果を出していくにしても、体力が必要。

学生時代に、運動部に入っていなかったからといって、体力がないわけではないんです。むしろ、一つのことに没頭し続けることほど、体力が必要なものはないんですね。

僕がこうして毎日パソコンに向かって文章を綴っていることも、非常に体力と頭脳を使うものです。

書き続けているときは、もちろん苦しさというか、ある程度の負荷がかかっている。でも、スポーツをしているときのように、その苦しさが心地よい。

マラソンを走っているときはもちろん苦しいのだけれど、完走した後の達成感や、走ってよかったという満足感。

文章を書くということは、そういったものが自分の心と頭脳を刺激することなんです。

何か一つのことを、10年続けるというのは、それだけでものすごい説得力だと僕は思っていて。それはすごく体力を使うことだということは間違いないし、何よりも好きなことに没頭しているという人生に価値があると思っています。

例えば、「TOEICが〜点です!」という人より、「高校時代から10年間毎日、英語の本を読み続けています」という人の方が、僕は説得力があると思います。

もちろん、どちらが上とか、そういうことではなくて。

継続力は信頼ですよ、ということです。

10年間の継続が、信頼につながる

別に英語でなくてもなんでもいいのですが、何かひとつのことを継続することは、それだけで僕は信頼に値するものだと思っています。

それだけで、価値あること。

別に10年でなくても、なんでもいい。

例えば、僕の友人でブログを1000記事書こう。と言っている人がいますが、それだけで、ものすごく価値あるものなんですね。

1000記事書こうと思ったら、毎日1つずつ記事を書いても、3年かかるわけです。

ほとんどの人は、毎日ブログを書くことは、継続しません。まして、3年間書き続けるなんて、全体の1%もいません。

これは僕が高校時代からブログを書き続けてきているからわかることですが、ブログを1つの記事書くことは、誰にでもできる。10記事書くことも、ちょっと頑張ればできるかもしれません。

でもこれを毎日、何年も続けることができる人は、ほとんどいない。

僕が高校時代から続けている「出会った人にはがきを書く」ということもそう。

今まで僕は何千枚ものはがきを書いてきて、それを見ていた周りの人から何度も、はがきを書くことについて聞かれてきました。

周りの人には「出会った人すべてに、はがきを書くといいよ」と散々言ってきました。実際書くことを続けると、世界が変わるよ、と。

にもかかわらず、それをできる人なんて、多く見積もっても1%もいません。

つまり、10年やり続けているだけで、振り返ってみると上位1%になっている、とうことです。

僕はこれからも毎日、淡々と言葉を書き綴り続けていきますし、手紙を書き綴っていきます。

振り返ってみると、気づけば遠いところまできたんだなと、実感する日がきっと来る。

共に、咲こう。

ありがとう。