書く。綴る。繋がる。喜び。

2018年9月4日書くということ

塩谷舞さんという方がいます。

大阪生まれの彼女は、25歳の僕より4歳上の方。

メディア業界では有名な人で、「millieu(ミリュー)」というオウンドメディアを運営しています。

milieu.ink

先日、この「しおたん」こと塩谷舞さんが書いた「SNSに生かされてきた」という、29年間の彼女の人生記を書いた記事を読み、すごくいいなあと思った。

何がいいかって、彼女の人生がすごくリアルに、僕自身の人生に重なったんですね。

 

僕は彼女ほど地味な10代を送ったわけではないけれど、周りの同級生に馴染むことができず、居場所を求め、どこかずっと孤独感を抱えたまま生きていました。

文章が上手であったことも同じで、小学生の頃から作文という作文でタイトルを総舐めし続けたことは良き思い出。

僕の場合は「勉強」や、小学校4年生から始めた「サッカー」が居場所ではあったけれども、それらと同じか、それ以上に「文章を書く世界」というものが支えであり、僕の居場所でありました。

同時に、中学生くらいまではずっと「物語」が僕の居場所で、何かを書きたい、表現したい、という根本の欲求みたいなものは、サッカーや音楽といったものに形を変えていきました。

サッカー少年でありながら、勉強はできる、真面目で、でもどこか体育会系の仲間たちとは距離がある。

僕はそんな10代だったと思います。

その日々の裏側には、一人でずっとこっそり読み続けたたくさんの「物語」があったことは事実で、部活動や試合で遅く帰ってきた後も、僕の孤独を癒すものは本でした。

文章を書くという喜びを取り戻す

そんな僕が体を壊し、学校に通えなくなると同時に、サッカーという自身の表現の場を失ったのが、16歳。高校2年生の夏でした。

家と病院とを繰り返す中で、家庭も環境が変わり、色々なことが不安定な10台後半を過ごしていた中で、僕は気づいたらあの頃の「書く」というところに行き着いていました。

ノートをめくる。日記を書く。ブログを書く。

本を読み、自分の中の奥の方にある言葉を掬い出して、それらが文字となり文章となり形になっていく。

キーボードを叩くたび、自分の中の何かが形を変えて、ディスプレイに映し出されていく。

当時のしんどい僕が自分を見失わず、僕であることができたのは、間違いなく「書く」という行為があったから。

そして側にはいつも「本」と「音楽」がありました。

文章を書くという喜びを取り戻した僕は、自由に自分の奥底の方に広がる海と、ブログを通して繋がる広い世界を自由に泳いでいました。

まるで、それが自分だと言わんばかりに喜びがあり、気づいたら20代。大人の仲間入りに一歩を踏み出す年齢になった僕は、大学に入学しました。

書く。綴る。繋がる。

高校時代から書き綴っていたブログは形を変え、大学時代もずっと存在していました。

その延長線にあるのが、このブログです。

大学時代、スマホを手に入れた僕は、それまで家のデスクトップでしか繋がれなかった広い世界と繋がる喜びを知りました。

文字を書く。ブログを綴る。それを発信し、SNSで繋がる。

その世界があったからこそ、今の僕があります。

うまく言葉にはできないけれど、自分の内側には、まだまだ言葉の水脈があるという感触を持っていて、ちょっとした刺激がきっかけとなり、いくらでも言葉が湧き出てきます。

僕はただ、それらを丁寧に掬い、こうして形にしているのです。

匿名ながらこうして綴るブログに足を運んでくれる人もいる。

僕はまだまだ、書きたいこと、表現したいこと、うまく言葉にならないけれど文章で補う。文体で表す。そんなことをして、ようやく一つのことをなんとか形にする。

そういう人間なのだと、改めて思うのです。

いつも、見にきてくださって、ありがとう。