『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹著)を日曜の明け方に読むことについて
いま、時刻は明け方の4時前です。
0時前にベッドに入って、少しうとうとした後、なぜだか目が覚めてしまって。
どこか重たいような眠たさが残っているのだけれど、どうしても眠れなくて、暖かい紅茶を淹れ、こうしてパソコンに向かっています。
ふと、本棚に目をやって手を取った本があって、パラパラと見返していました。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 ハードカバー
良いニュースと悪いニュースがある。 多崎つくるにとって駅をつくることは、心を世界につなぎとめておくための営みだった。あるポイントまでは……。→ 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という本です。
以前にどこかでこの本のことを書いた気がする。
と思って見返してみると、前に書いた記事が出てきました。
不思議なことに、この時も日曜日夜が明けた、夜中というよりは明け方の時刻にブログを書いていて、その時もまたこの本を手に取っている。
この本には何か、日曜日の明け方と僕とを結びつける何かがあるのだろうか。
なんてことを思いつつ。
せっかくなので、この本の感想を書いてみようと。
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僕は10代の頃から村上春樹の物語のファンなのですが、この物語もすごく好きなんですね。
何がこうも僕を物語に惹きつけるのかはわからないけれど、そこにある個人としての物語というのは、僕らに共通する感覚なのかもしれない。
この物語は、主人公である多崎つくると、4人の友人たちの物語です。
高校時代に同級生だった5人は、いつも一緒にいて。
つくる以外の4人には、名前に「色」を持っていて、それぞれを「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」と呼び合っていたけれど、つくるだけは「つくる」と呼ばれた。
そんな5人の何気ない日常から物語は進んでいきます。
この5人の物語の始まりにおいて、僕がすごく感動したのは、何気ないフレーズなんだけれど、
この5人はそれぞれに「自分は今、正しい場所にいて、正しい仲間と結びついている」と感じた。
という言葉。
ああ、すごくわかるなって思いました。
僕自身の高校時代を振り返ってみると、別に彼のように仲間がいたわけでもないし、むしろ僕には友人と呼べる人なんてほとんどいなかったわけですから、同じ経験をしたからわかると思ったわけではない。
なんだけれども、この言葉がすごく刺さった。
この感覚というのは、僕が心のどこかでずっと求めていたものなのかもしれないなと。
言うなれば、今だってずっと求めているのかもしれない。
「自分が今、正しい場所にいて、正しい人たちと結びついている」と思える何かを。
人はいつだって、自分の中に正しさを求めている気がする
僕らが村上春樹の物語に惹かれるのは、彼の物語に出てくる個人がみな、自分の中に確固たる「正しさ」のようなものを持っているからなのかもしれません。
正しさというのが何なのかと言われれば、確かに難しい気もしますが、言うなれば上に書いた「自分が今、正しい場所にいて、正しい人たちと結びついている」と思える強さのようなものではないでしょうか。
人間はみな弱いし、孤独です。
彼の物語に出てくる個人ももちろん迷うし、傷つくし、孤独だし、僕からすると人一倍の”人間らしさ”を持っているように見える。
同時に、自分自身が「こうあるべき」という、使命とまではいかないけれど、確固たる「確かさ」をも持ち合わせていて、その「強さ」が物語を前に進めているんだと思うんです。
そして僕らはその「確かさ」や「強さ」のようなものに、ある種の憧れのようなものを抱いている。
僕らはいつだって、自分の中にそういった正しさを求めているからです。
村上春樹氏の言葉を借りれば「システムに対抗する個人」のようなものだと思うのですが、その個人の中にある「何か」が、僕らを惹きつける大きな役割を果たしているのではないでしょうか。
翻って。
僕自身はいま、何を思うのだろうか。
僕はいま、正しさを持ち合わせているのだろうか。あるいは、どこかでそれを求めているのか。
ずっと考えているけれど、未だに答えはよくわかっていません。
今までに、僕なりに「これは」と思うものもあったのですが、そんなふうに思うたび、つまりは自分自身がここでそうあるべきなんだ。それを僕自身がそう望んでいるんだ。と思うたびに、それらは僕の手放されてきたからです。
否、自分自身で手放してきたのだろうか。
そこには今までずっと分からなかった「何か」があるのですが、それが何なのかは分からない。
分からないけれど、少なくとも今の僕は、僕自身を前に押し進めるものを手にしていることは事実だと思っていて。
24年という人生の中で、何年もの時間をかけて手にしたものがあって、それらが今の僕を前に歩ませようとしているんです。
ぶっちゃけ、自分自身の「確かさ」も「正しさ」もよく分からないけれど、僕は一歩ずつ前に進んでいく。
それでいいんだと思っています。
一つずつ、自分自身で手に取っていくことができたらいいな。
ありがとう。