子どもが自発的に読書をするように育ったら、その教育は成功である。 〜僕の「書くこと」のベースを築いた幼少時代〜

2020年5月3日子育て論, 書くということ

小学生の頃、読書感想文なるものがありました。

そして思い返すと、僕は読書感想文を書くことが好きで、というのも、僕は幼い頃から何か文章を書くということが好きでした。

とは言っても、小説を書いていたわけではなく、また小学生の頃には、今のようにパソコンでブログを書くという発想すらなかった僕にとって、学校で何か半強制的に文章を書く機会が楽しみだったんですね。

僕は下書きとか構成とか、そういったものは全く考えないで、いきなり頭から清書をしていきます。

これは今も変わらない、僕の文章の書き方。このブログも、課題のレポートもそう。いきなり頭からグイグイ書いていく。後から推敲をして文章を入れ替えたり、ということはもちろんしますが、書きたいことが溢れてくることを大切にして、勢いで書いていきます。

そしてそのベースとなる書き方は、実は小学生時代からほとんど変わっていない。

小学校1年生の最初に書いた読書感想文で、当時の担任が僕の書いた感想文に絶句して、僕の母を訪ねて家まで来たことを今でも覚えていて。(当時の作文は、家のどこかにしまってあるはずw)

嘘ではなくて、本当に家に訪ねてきたのですから、不思議な話です。

ちなみに、後日、僕の書いた作文を見た母親に「この子は天才じゃないかと本気で思った」と言われたことがあって、当時の僕は不思議で不思議でしょうがありませんでした。

小学校の6年間、そして中学の3年間。

僕は作文という作文で、たくさんの賞状をもらいました。それこそ読売新聞社の賞とか、文部科学大臣賞(だっけな?そんな感じ)とか、県内外問わずあらゆる賞状をもらいまくっていて、その度に母親が喜んで額縁に飾っていったことを今でも覚えています。

思い返してみると、本当に昔から書くということが好きだったのだなと。

本当に自由に書くということに向き合っていて、母曰く、それこそ僕は保育園の先生にまで手紙を書いていたらしい。

どこの保育園生が、先生に手紙を書くのだろうと、自分ごとながらとても不思議な話です。

中学校の頃、確か県の課題に対する意見作文みたいなもので賞を取ってしまい、当時嫌いだった担任の先生と一緒に、新聞に写真が載った記憶もあります。

僕が嫌いだった、その担任の先生は、国語の先生でした。

特に中学以降、「国語」という科目によって、不自然な文章を書くことを強制されます。僕はそれがたまらなく嫌だった。

まして、中学時代の嫌いな先生が国語を担当していたわけですから、当時の僕は「国語」という科目すら、嫌いになっていた。生徒時代というのは不思議なもので、科目を担当する先生の好き嫌いで、その科目の好き嫌いが左右されます。これはもう、しょうがないこと。

これは僕が学校の「国語」という授業を受けていた高1まで続いていて、高校2年になった後、僕はやっと受験の「国語」という科目から解放されました。

解放されたというのは、僕は高校2年生以降、国語の授業を一切受けていません。

現代文も、古文漢文もそう。

受験に使うでしょ?と思うはずですが、僕は国語の受験勉強は、高校2年生以降、一切していません。

現代文は、やらないと決めた。

古典は、高校1年の時に終わっていた。

よって、全く受験勉強をやらないという選択肢のまま受験に臨みました。

(実際、センター試験しか使わなかった国語は、全く問題ない点数でした。)

今思えば、「国語」という科目に縛られていたのは、中学2年から高校1年の約3年間くらいの期間で、逆に10代の中で3年間抑圧された経験と、それ以外の期間は縛られなかったという事実が、今の僕の文章に対する想いになっていたりするのかなと。

10代の期間、特に10代後半から大学時代までの数年間は、圧倒的に読書に没頭することができた。

それが僕の大きな財産になっています。

そして僕に「読書」というベースを築いてくれた母親には、感謝です。僕の母親は、僕が生まれてから1週間後には本の読み聞かせをしてくれていたらしく。

周りの人に「どうせわからないから、やめておけ」と散々言われ続けながら、それでも毎日本を読んでくれたという事実は、僕の中に残る最大の教育でした。

そこから僕が思うこと。

子どもが自発的に読書をするように育ったら、その教育は成功である。ということ。

ひとつ、自分自身の経験から、そう思っています。