日記を綴り続けるコツ2 〜書きたい内容の上澄みである、タイトルを書き出す〜

2019年1月6日書くということ

以前に「日記を綴り続けるコツ1〜なんでもいいから、書き始めてみる〜」という記事を書いたので、今度はその2を書きます。

僕はこうして毎日日記としてブログを書いているのですが、1日1記事ずつ書いているのではなくて、書きた内容が溢れてきたときは、1日に2つも3つも、ワッと書いてしまいます。

その時に、漠然と書きたい内容が頭にあって、その内容が頭の中から消えてしまわないうちに、一気に書ききってしまうことが多いです。

それはカツ丼を食べることと一緒です。

カツ丼は、注文して出されたら、熱いうちにワフワフと一気に食べるから美味しいのであって、熱いから冷めるまで待とうなんて言っていると、美味しくなくなってしまう。

書くことも一緒で、自分の内側に熱いものが溢れてきた時に、一気に書ききってしまわないと、書きたいことは消えてなくなってしまいます。

書きたいことがなんとなくぼんやりしている。でも、こういうことを書きたいなぁと思っている時があって、そういう時に僕がよくやるのが、まずはタイトルを書いてしまう。

その1で書いた「なんでもいいから、書き始めてしまう」という方法と、使い分けています。

書きたいことがよく分からないときは、なんでもいいから書き始めるんですが、逆になんとなく書きたいことがある時は、その内容で最も書きたいことの上澄みである、タイトルに頭を使うんです。

実は、そこが一番頭を使う部分。

上澄みの一滴がタイトルで、そこさえ決まってしまえば、あとは手が勝手に動きます。

このブログだってそう。

「書きたい内容の上澄みである、タイトルを書き出す」

というところを書ききると、本文は手が勝手に動きます。そんな感覚なんですね。

僕がこうして毎日書いている中で、タイトルだったり本文中の見出しだったりというのは、僕の日々の中で思っていることを一行に圧縮したものです。

言いたいこと、伝えたいこと、それこそ書きたいことはたくさんあるけれど、それを一行にまとめたものが、僕の知恵の上澄みとなっています。

コピーライティングのようなものかもしれません。

僕がいまインターンシップをしている企業は、広告代理店です。

それこそ、コピーライターの方から文章について教えてもらうこともできるし、あらゆるクリエイティブが溢れている。

大学時代に、そんな企業にここまで関わらせてもらったことに、感謝。

そうやって文章を書く側の難しさとか、コピーライターの凄さとかを目の前で見ることができると、世の中で本を書き続けている人、いわゆる職業作家という人が、いかにすごいかということがわかってきます。

同時に、作家として生きている人はみな、コピーライティングに長けているんだなと。

その人の出汁の一滴が、タイトルだったり見出しだったり、あるいは本文の「ここぞ」という部分にきている。

それだけで、本を読む楽しみになるんですね。

これからも、タイトルにこだわっていきたい。

ありがとう。

<追伸>

今朝は雨が降っていて、なんだか愛おしい1日の始まりでした。

昨日をよく生きたからかな。

今日も、僕らしく生きていきます。ありがとう。

<追伸の追伸>

1時間でも、こうして朝にスタバにきて過ごす、本当に穏やかな時間が僕の支えになっています。ありがとう。