学校は、社会の縮図である。を教えてくれた恩師の話。
(2018年3月更新)
1年経ったタイミングで、「ご飯に行きましょう」とメールをもらいました。幸せ。
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僕には、中学・高校時代に出会った1人の恩師がいます。
T先生と出会ったのは、中学3年の時。
僕が通っていた学校は、私立の中高一貫校でした。
僕は中学入試を受験して入ったため、高校受験はなし。いわゆるエスカレーター式に高校に進む、という学校でした。
高校受験がないため、中学校3年生にもなると、特に難関系のクラスでは、高校の勉強が始まります。
僕がいたクラスは特に、中学3年に上がる頃には、もう大学受験の話をしていた。
大学はどこに行こうだの、受験に必要な科目の勉強をどうしようだの、今となって振り返ってみると、少々奇妙な中学生だった気もしますが、当時はそれが当たり前の環境でした。
さて。そのT先生は、もともと高校で数学を教えていた方なのですが、僕らの学年がどうやら優秀な学年だと言われていたようで(実際、3年後の大学受験の際は、そのまま過去最高の結果を出した学年だった)、難関数学を教えるという目的のもと、高校から中学3年生まで降りてきて、僕らのクラスを見てくれました。
まず、最初の印象は、すごく嫌な先生(笑)
ものすごく厳しい。というのも、スパルタとかいうわけではなく、求められる「当たり前のレベル」がものすごく高い。その基準を始めて肌で感じた瞬間でした。
でも、ベースにある愛情であったり、生徒1人1人を本当にものすごく見ていることは、生徒の側からすると一瞬でわかる。
いつの間にか、毎回の平均点が100点満点中で20点(!)の毎週のテスト以外は、その先生が大好きになっていました。
学校は、社会の縮図である。の意味を教えてくれる担任
ものすごく運の良いことに、僕は高校1年生のとき、そのT先生が担任でした。
中3のときは数学の授業しか見てもらえなかったけれど、今回はHR担任ということで、より一層多くのことを教えてもらいました。
まず、最初にそのT先生に言われたことは、「学校は、社会の縮図である」ということ。
最初は全く言っている意味がわからなかったことですが、繰り返し言われているうちに、そういうことなんだと当時の僕でもぼんやりと認識し始めていたことを覚えています。
そして、社会との接点をある程度持つようになった今となって振り返ってみると、その言葉の意味、そしてその言葉が持つ重さを、痛感するわけです。
「ああ、あの時に言っていた意味は、そういうことだったのか」と。
こうして時間が経って振り返ってみた時に、心に残っている人が、自分の人生にとって大きな影響を与えてくれた人なんだと思います。
学校は、社会の縮図である。
自分たちのクラスという組織は、自分たちのものであって、自分たちでルールを決め、自分たちで回していく。その意味を教えてくれたのがT先生でした。
例えば、僕らの学校には「校長訓」(社訓みたいなもの)なるものがあって、毎日、朝と帰りのホームルームではそれを斉唱するのが学校のルールでした。
でも、そのT先生は、「ただ何も考えずに言葉を唱和するのは意味がない」といって、校長訓の斉唱を排除したんですね。
その代わり僕らに伝えられたメッセージは、その言葉のひとつひとつの意味を自分たちの頭で考える、というものでした。
毎週、ひとつひとつの言葉の意味を、自分たちで考え、その定義付けまで行う。
それを全員で共有し、フィードバックをしあって、共通認識を作っていく。
そうすることで、きちんと自分たちで”意味付け”をした、自分たちなりのルールが出来上がっていくわけです。
ものすごく手間と時間がかかる作業でしたが、それを終えた後に校長訓を唱和するようになると、すべての見え方が変わってきて。
それ以外にも、清掃のルール、席替えのルール、早朝勉強のルール。
すべての仕組みを、既存のルールに従うのではなくて、自分たちで決めていく。
そういうことを、いちいち一つずつ行っていきました。
席替えなんて、全員でくじ引きをして決めた方が圧倒的に早いわけです。生徒に取っても、先生に取っても、楽でいい。
にもかかわらず、すべての席替えに意味を持たせて、その仕組みを生徒たち自身で考え、決めていくという、ものすごく手間のかかることをやっていました。
前回のテストの成績をベースに考えてみる。生徒同士の関係性を加味してみる。グループ分けをして、そのグループの成績(結果)を考慮してみる。
そうやって、一つずつ、自分たちの頭で考えることをしていくと、気づいたときには、それが当たり前の文化になっていました。
「信頼」を大切にして生きて行くことの大切さ
僕の学校は、一応の進学校で、特に難関系のクラスは、テストの成績がすべて張り出され、競い合う空気が当たり前になっていました。
高校入学当初から多くが大学受験を意識していたし、学校側もそれを前提としていたので、進学実績を出すことを強く求められ続ける高校時代だったんですね。
その環境の中では、「自分自身の存在価値=テストの成績」というのが当たり前になってきます。
中学入学早々でそれまでの自信を折られた僕は、サッカーに熱中したり、音楽に熱中したりして、自身の存在価値を見出そうと頑張ってみましたが、やっぱり何をやっても、自分に残されているのは勉強しかない。
そのプライドと葛藤の間で揺れる、高校1年生だった。
そんなとき、初めてそのT先生が、「信頼」の大切さを教えてくれました。
社会では、信頼が最も大切なものである。
信頼を大切にして生きて行くことの価値は、はかりしれないものであると。
そして、僕自身に対して、「お前は人から”信頼される”人間である。それを忘れずに、大切にして生きていきなさい」と、初めて点数以外で、僕自身の社会的な価値を見出し、認めてくれました。
今の僕の大きなベースは、その時にその先生がおしえてくれた価値観です。
ものすごく、大きな財産になっている。
若いうちに、”信頼の大切さ”を教えてくれる人に出会えるか否かで、その人のその先の成長は、大きく変わってきます。
僕はとても運の良いことに、高校時代の恩師が、それをおしえてくれた。
本当に上司みたいな先生で、面倒だなと思うこともありましたが、間違いなく僕の人生で出会った最初の師匠です。
本当に感謝しています。ありがとう。
教育実習で初めて知った、恩師のストーリー
僕はいま大学で教職免許を取得しているため、先日、母校の高校に教育実習に行ってきました。
その時にT先生に挨拶に行った時のこと。
僕自身の就職活動の話をした時に初めて、その先生が実はリクルート出身であったことを聞かされました。
しかも、リクルート全盛期の時代。
世代的には、あのインテリジェンスの創業者である宇野さんと同世代だという。
衝撃でした。
僕の全身に、電流が走った瞬間だった。
高1の担任だったT先生とは、それ以降もずっと、やり取りをしていた。
高校を卒業しても、大学に入学しても、半年に1回は、顔を見せに行っていました。
これだけいろんな話をしてきた中で、1度たりともそのことは聞いたことがなかった。
なんで今まで教えてくれなかったんだ、と思わず口走ったと同時に、それがその人の、人間としての器だなぁと思ったんです。
あの上司みたいな先生のルーツが、そこにあったのだと気付かされた。
元Rの方が、中高時代の恩師であること自体も奇跡みたいなものですが、その先生と、人生のすれ違いで終わらなかったこと。そしてそこから僕の多くのご縁が繋がっていること。
その奇跡が、いまの僕をつくっているのだと。
ものすごく、ものすごく恵まれた人生です。
人はきっと、誰しも何かしらの使命を背負っている。
僕自身にもきっと、何か託されたものがあります。
生かされている僕の人生で、成し遂げるべきは何か。
ひたむきに、それを考え続けてありたいです。
出会いに感謝。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
(2016年11月更新)
後から書きました。社会で一番大切な「信頼の大切さ」を学びました。
(2018年4月更新)
この恩師とご飯に行きました。社会人2年目になった4月のことです。
社会人になった姿を見せることができた幸せです。