10代の時に頑張れた経験は一生の糧になる
教育論的な話ばっかり書いていてアレだなとは思うのですが、受験勉強然り、野球サッカーバスケットなんでもいいけれど部活だとか、音楽でもいい。
10代の時に何かを頑張れた経験というのは、一生の糧になるのだと最近改めて思うのです。
受験勉強というのは、数年単位の継続です。
例えば、それまで全く勉強してこなかった人が、高校3年生の1年間だけ頑張ったからといって、めちゃくちゃ頭が良くなる。そんなことはありません。笑
(多少、知識が増えて成績が伸びるということはありますが)
よく「高3の部活を終えてから本気で受験勉強をして合格しました!」という受験体験記があるのですが、それは基本的に進学校の生徒などで、小中高とベースとなる学力が培われている場合です。
以前、林修先生が母親たちと討論をするという番組で、「受験まで残り1ヶ月のときに、受験生に向けて決まってする話がある」というエピソードを話していました。
受験まで、残り1ヶ月になるね、と。
俺は君たちが受かろうが受からまいが、どうだっていい。
でも、この1ヶ月、頑張れたか頑張れなかったかで、一生が変わるよ。
勿論受験なので、受かる人もいれば、落ちる人もいる。
頑張って、受かった人はいい。
頑張ったけれど、落ちた人。その人はまた来年頑張ればいい。
問題なのは、頑張らなかったけれど、受かった人。
そして一番多いのは、頑張らなくて、落ちる人。
この1ヶ月、頑張れた人と、1ヶ月も頑張れなかった人の差は大きい。
合格しようが落ちようが、頑張らなかった人は「俺は私は、1ヶ月も頑張れなかった」ということを抱えて生きていくのだと。
でも、たとえ不合格でも1ヶ月間、頑張れた人というのは、その先多分1年間頑張ることができる。
1年間頑張ることができる人は、その先10年、頑張ることができる。
10年頑張ることができる人は、きっとその先一生頑張ることができるはず。
その経験を10代の時にしていることが、とても重要なんですね。
林修先生の教育論にも納得だし、今時ちょっと時代錯誤だよと思う人もいるのかも知れません。確かに努力論的な話は古風だし、少し野暮ったい部分もあるかも知れない。
でも、結局のところ人生は瞬間の積み重ねなので、変化の継続でしかありないのだと思うのです。
就職をして社会に出てみて思うのは、やっぱり仕事の水準というのは、最初の就職先で見聞きするものが基準になる。
だから僕は、できることなら最初の就職先はちゃんとした大企業が良いのではないかと思っている。
そして10代の時までに没頭した時間というのは、人生における「努力の水準」になるのです。
若干の偏見かも知れないけれど、僕的にはやっぱり10代の頃に勉強にきちんと向き合ってこなかった人というのは、努力の基準が甘いような気がするのです。
とまあ、古臭いようなことも書きました。
僕も出遅れ組なのでなんともいえませんが、今から10年単位で人生のステージを変えていこうと思えば、すごく楽しいと思いませんか?