書くことで、深いところにある自分の魂に触れようとしている
僕はずっと、自分のことを向上心のある人間だと思っていました。
小学校時代に始めたサッカーは、もっともっと、という気持ちで高校時代まで続けて、そしておそらく身体を壊して続けられなくならなければ、それ以降もずっと続けていただろうと思います。
もしかしたら、今もまだサッカーを続けていただろうと。
勉強だってそう。
10代の頃の僕は、勉強することが楽しかった。学校の勉強もそうだし、それ以外でも僕は自分でたくさんの本を読んでいた。
僕という人間は、多くのことに興味は持たないけれど、一度興味を持ったものにしては、異常なほどにのめり込む、という性質があります。
勉強やサッカーだけでなく、音楽や将棋も幼少期から今もなおずっと継続しているものです。
10代途中で一段と本の虫になった僕は、大学時代には年間500冊とか、軽くそれ以上の本を読んで大学時代を過ごしました。
それらの根源にあるのは、自分自身をもっと高めたい、という向上心からくるもの。
僕はずっと、そう思っていました。
でもここ最近、実は僕のモチベーションの根源にあるのは、向上心ではないだろう、と思うようになってきて。
向上心ではなくて、実は「探究心」というものなのではないかと。
向上心と、探究心。
似た意味で使ってはいますが、実はこの2つは似て非なるもので、僕の中では全く異なるものとして線引きされています。
そう思うようになったきっかけは、就職活動中に自分のことについてたくさん考えていた時に、とある大人の女性の方から「君が持っているものは探究心だと思う」と言われたから。
それまで、向上心があるとは思っていたけれど、でもどこか何かが自分の中で引っかかっていて、うまく言葉にならない何かが、喉の奥に刺さったような感覚でした。
そこに「探究心」という言葉が僕の中に入ってきて、ブレイクスルーだったんですね。
書くことで、深いところにある自分の魂に触れようとしている
思い返せば、今まで没頭してきたものは全て、自分の中にある何かを掘りあてるようなことだったなと。
本を読むことも、勉強をすることも、サッカーも音楽も全て、他人との勝負なんて1ミリも興味がなかった。
自分の中で、もっともっと深く、もっともっと知らない世界に触れたい、、
という気持ちがあって、表面だけではなくて、もっと深いところを掘り進んでいたんです。
何を掘っていたのかというと、それは自分自身なわけで。
僕はいつでも、もっと深いところまで行きたい。そう思っています。
こうしてずっと言葉を綴って文章を書いているのも、書くことによってもっと深い自分を探しているんです。
もっと深いところまでいけば、奥の方にある自分の魂みたいなものに到達して、触れることができるんじゃないかと。
だからひたすら、自分の中にある何かを探し続けているんだと思います。
すごく感覚的な話ですが、僕自身の中には、すごく広い世界が広がっていて、そしてその多くはまだ僕も見たことがない、知らない世界なんです。
日本を旅することも、世界を旅することも、どれも素敵なものだけど、もっと広い世界は自分の内側にある。
僕はいま、そんな感覚を持って日々を過ごしています。
新しい日の始まりに。
そんなことを思いながら、これからも言葉を書き綴っていきたいと思います。
ありがとう。