次世代を生き抜くために必要なコンテンツ力は才能だと感じた話

社会人3年目(大阪)

手紙は読むより書くほうが大変だと言います。
昔大好きだったアーティストのYUIの歌詞の中に、そんな言葉が出てきたことを思い出します。

その歌を当時のYUIさんがどんな気持ちで書いたかはわかりません。
確か「勝手な評論はやめて」というメッセージの歌だったと思います。
私は私で、好きな歌を作っていて、そこにはいろんな想いを込めているのだから、と。

僕は今月、会社でセミナーを開催します。
外部の人を招きながら登壇を作り、そして社外の人たちを招待するというもの。

社外の人たちは基本的に一部上場企業の部長の方々。
あるいは、新規事業や研究開発などに携わる人たちをクローズドで招待し、オープンイノベーションという切り口のもとで、どんな風に新たな事業を作って行くのか?ということを語る会です。

新年度になる前(4月の前)から中身を作り始めて、誰を呼ぶか。どんなテーマにするのかから、話す内容、メッセージ、登壇の際のアクセントとしてのコンテンツなんかも、全部0から作ります。
フライヤーと呼ばれるチラシも僕が作りましたし、当日の何十枚というスライドも基本的には僕で作ります。(一緒に壁打ちをする人はいる)

去年までは僕の先輩がやっていて、僕はサポートをする側でしたが、今回は主体として作る側に回るという経験をしています。
外から見ると「何をやっているのかわからない」と思われるかもしれませんが、これは見ている以上に大変なものです。

改めて「作り手側の大変さ」みたいなものを実感しているのです。

コンテンツを作る力は才能

過去に何度か開催をしたセミナーは、僕と先輩で作りました。
作業は僕も多くやっていましたが、コンテンツはほとんど僕の先輩が作った。

そのコンテンツの質というのはやっぱり才能だと思っていて、「世の中っていま、これを欲しているよね」とか「こういうストーリーにすると刺さるよね」というものを形にするのは、実際にやったことがある人にしかその難しさはわかりません。

今回コンテンツを作る側に回り、実際に形にするところまでをもやりましたが、やっぱり敵わないなと思わされます。
僕のできることではありますが、コンテンツで圧倒的に勝っていくほどのものではないことを痛感しつつ、それでもなおきてくれた人たちに価値を残すためにはどうするか?という観点で、頭に汗をかいています。

世の中には、コンテンツで勝負をしている人たちが大勢います。
起業家、作家、ライター、講演家、企画屋さん、デザイナー、諸々。
その人たちは皆、個人として圧倒的にずば抜けている人たちだって大勢いるのです。

それはやっぱり、どう転んでも才能であるし、その才能を磨くためにアウトプットをし続けたのだろうなということを感じさせられます。


生きるということは、 アウトプットするということだ。
〇評価はアウトプットでしかされない
〇アイデアより、アレンジ力
〇検索時代は、本当の知識で差がつく

結果を出す人は、 どのようなアウトプットをしているのか。 有効なアウトプットを出すためには、 どのようなインプットをしているのか。
人生を変えるアウトプット術 インプットを結果に直結させる72の方法

コンテンツ力のある個人は、影響力で大企業を凌駕する

今、個人で影響力を持つ人たちが増えてきています。

インターネットというツールを用いて、社会に対してたとえ個人であったとしてもインフルエンスできる世の中になってきました。

便利な世の中です。
そして才能を持つ人たちにとっては、こんなに素晴らしい社会はない。

同時に、才能のない圧倒的大多数の人たちにとっても「素晴らしいフリができる」という時代です。

コンテンツ力がある個人というのは、影響力という観点で、大企業を凌駕する時代です。

現に僕は上で書いたセミナーを開催するときに、個人の方々にも仕事をお願いしました。
もともと知っていた人もいるし、新たに出会ってお願いをした人もいます。

僕らは企業という名刺を使ってその場を作りますが、その場に来てくれる登壇の方々は個人です。
その場を一緒に作る人たちも、個人です。

今はそういう時代なのです。

そしてこの時代だからこそ、コンテンツ力を磨くためには「単に才能」という議論をすると全てが終わってしまう。
であるならば、やっぱり「アウトプット」をし続けましょうよ、ということだと思うのです。

こうやって世界中に公開される文章を書いても良いし、YouTubeでも良いのです。
それを「やり続ける」ことで磨かれていくものがあるのではないでしょうか。

僕も淡々と発信し続けます。