初めての韓国(振り返り感想編)
初めての韓国旅行の振り返り日記。
第一弾の「渡航前編」、第二弾の「入国編」、第三弾の「滞在編」。
最終回となる第四弾は「振り返り感想編」ということで、韓国に行った感想とそこから考えたこと(学びと反省)を書いてみようと思う。
まず、感想の雑感。
・初の仁川空港(デカい)
・通貨はウォン。1円≒10ウォンくらい(と初めて知った)
・右車線、タクシーは荒い。ドアは自分で開ける
・車の運転も荒い。日本の道路は超静か&安全
・電車の乗り方が分からない…Suicaカード的なやつがある(T-money)
・クレジットカード文化。あとはT-moneyでタクシーもコンビニも買い物ができる。現金はほとんど使わない(そこは東京とほぼ同じ)
・コンビニの店員は無愛想。タクシーの運転手も無愛想。日本の接客レベルはすごく丁寧
・Soul市内はめちゃくちゃ人が多い。コロナは終わっていた
・市内のファッションは日本とほぼ同じ。電車内はわりと静か
・市場はグローバル。アジアで一番大きな市場がある
・その中でもわりと古き良き、どうやって生計を立てているか分からない謎のお店も多々ある
・宿泊したのは東大門の近く。お城(宮殿跡)があった
・食事は異常に辛い。辛いご飯が苦手な僕は、8割食べれない
・どのご飯屋さんでもキムチが数種類出てくる。頑張って食べたらお代わりが出てくる
・必ず鉄のお箸。テーブルのサイドに入ってる
・物価はほとんど日本と同じ。「安くて旅行に行きやすい韓国」は数年前の話
こんな感じの雑感。あとは考えたこと感じたことを書いてみる。
右も左も分からない、上京したての時の感覚を思い出す
今回初の海外、初の韓国に行くのは、正直すごく不安だった。
不安というよりもなんというか、初めての体験なので、未知なるものへの興味と怖さが混在している感覚。
僕が20代の上京したての時に、街に出るたびに駅もわからず、場所もわからず、人は多くて流されそうで、知り合いもいない。そんな右も左も分からなくて、ずっとキョロキョロしながらスマホ片手にいた、そんな感覚。
今回韓国に行って、昔の(と言っても数年前の)自分を思い出し、ああ久しぶりにこういう感覚になったなあと、わりと新鮮な気持ちになった。
非日常に身を置くことは大事。世界の大きさを感じる
そうやって定期的に非日常に身を置くことは、自分自身の存在のサイズを強く意識する良いきっかけとしてすごく大事。
ただ、それは自分自身がポジティブな状況か否かによって、変わってきそうな気もしている。
いま僕自身は30歳を迎えて特に大きなストレスがあるわけでもなく、人生的にはポジティブな状況なので、そういう状態の時に非日常に身を置き、世界の大きさを感じることで「あ、初心を忘れずにいよう」とか「もっと次の世界の扉をあけてみたいな、いろんな景色を見たいな」と思える。
これがもし、いろいろ調子が悪い中、自分自身がネガティブなモードの時だと、逆により世界の大きさ重さに押しつぶされそうな感覚になるような気もする。
当然、ネガティブなモードの時でも「世界は広いんだ!自分が悩んでいることなんてちっぽけなことなんだ」と開き直るきっかけにできる人もいるとは思う。
その話は自分の物事へのスタンス、向き合い方のベクトルを逆にするという行為であって、もちろんそれはそれでGoodなのだけど、ネガティブな要因自体を解消しているものではないということだけ理解し置く必要はあるかもしれない。
ちょっと話はそれたけど、定期的に海外に足を運び、非日常に身を置く体験は毎年やっておこうと強く思った。
日本は良い国。居心地が良い。ただし世界の物価は上がり続けていることは無視できない
あと、やっぱり日本という国を外から眺めると、全然違うように見える。
たかだか数日やそこら、しかもアジアで一番近い国の一つである韓国に行ったくらいで、誰が日本を語るんだ。という話ではあるのだけれど、言葉も文化も通貨も違う国で時間を過ごすと、やっぱり日本の居心地の良さは感じられるし、他方で国際的な位置付けみたいなものも、ぼんやりとだけど見えてくる。
テレビやYouTubeや芸能人たちが行き来する「おしゃれな国、韓国」というイメージがどうしても僕らの中にはあって。
大学生や20代の女の子同士で、ちょっと手軽にオシャレを楽しみに行く。
そんな韓国があったのも事実だと思う。
でも聞くところによるとここ数年で韓国の物価は上がり続けていて、僕の体感ではほとんど日本と変わらない水準になっているように思う。
洋服然り、コスメ然り、食べ物然り。生活コストはほぼ同水準。
これは韓国のみならず、あらゆる諸外国の物価が高騰していて、日本と同じ水準に近付いている国もたくさんある。これは日本の中だけにいるとなかなか気付けない。
日本も海外からのインバウンド需要が回復し増える傾向にある中、確実に物価を上げていくことをしなければ、生産も消費も停滞を辿っていく。国内に落ちるお金を増やす(外貨を稼ぐ)ためには、物価を上げるという選択肢は常に頭に置いておく必要があると思う。
ただし、物価を上げると「消費のドーナツ化」が進んでしまうというデメリットもある。
例えばタイ・バンコクは日本人が旅をしやすい先として有名だけど、バンコクに住んでいる現地の人たちは物価が高すぎて買い物ができないという。
仕事も限られていて、給与も上がらない。タイ国内の優秀な人材は当然のように海外に出て行ってしまう。
バンコク市内で買い物をする、お金を消費するのはもっぱらお隣の中国などからの旅行客。そうやって「国内の人は値段が高すぎて買えない」「でも物価は上がり続けていて、海外の人が購買行動をバンバンしている」というような、いわゆる「消費のドーナツ化」が進んでいく。
これをすると国内にはお金は当然落ちるのだけど、国としての経済発展は遠い、という交わらない2軸が同時に存在するようになっていく。
ちょっと荒いロジックで、当然この話にはもっといろいろな軸があるわけで、ひとえに「物価を上げればよい」というものでもない。このブログでその賛否を語るものでもないので、一旦この辺りで。
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何はともあれ、日本だけにいると気付くことができない、物事の様々なモノサシを身に付けていく感覚は、単純にすごく楽しいのだと気付く大きなきっかけとなった。
この数年で日本のあらゆるところに行って、ようやく「日本」という感覚を身につけることができたわけで、それまでは「海外」なんていうのは文字通り海の向こう側、自分の世界とは全く異なるものだと思っていた。
今回、韓国へ行くことができたのは世界の広さを感じる第一歩になったような気がしていて、30代を過ごす僕の価値観を広げる一歩目になるのだと思う。
まだまだ見れていない世界、景色がたくさんあるということが、これからの人生をより彩ってくれるものだと思う。
ということで、今回のきっかけをくれた人に感謝しつつ、またの機会を楽しみにしたい。
ここまで読んでくださって、ありがとう。