ナルトではなく、サスケという生き方もある

2020年1月28日日々徒然

ちょうどこの冬の数ヶ月、年末年始の時間も相まって、僕自身の生き方を考えていました。

以前の記事で僕は、「エリートコースで生きるか」それとも「愛されコースで生きるか」という2つの生き方の選択について書いたことがあります。

そして僕は、僕自身の生き方として「愛されコースの上限」として生きると。そんなことを書いた記憶があります。

愛されコースとは、多くの人に応援してもらい、そして引っ張りあげてもらう生き方。でも、バカじゃないから、上限いっぱいで生きる。そういうことです。

でも、どこかに違和感があったこともまた事実。

たしかに僕は、応援されているし、引っ張りあげてもらえる人生を生きている。それ自体はすごく嬉しい生き方なのだけれど、必ずしも‘多くの人に’応援してもらえる愛されコースで生きられる人なのか?という違和感です。

もちろん、多くの人に応援されたいのか?という本質的な問いかけもあります。

でも、僕自身は自分の経験や言葉を、誰かに伝え、発信者として生きていきたいという夢もあります。

そこに必要なのは間違いなく「影響力」なのですが、それは結果であって目的論の話ではない。

たしかに器用に、優等生的に、水準以上のアウトプットを出し続けることは出来る。いろんな人を応援する力もついた。でも、僕自身の生き方って、そうなんだっけ?という思いがどこかにありました。

 

大きなヒントになったのは、必ずしも僕1人だけで完結しなくともいいんだなと。

それよりも、僕自身がまず振り切る覚悟を決めること。
そして、共感を作るフィルターを持った人たちが仲間にいればいいんだなということ。

そういう風に思わせてくれる人たちに出会えた20代の人生は、すごく恵まれていたなと思うのです。