良い本は読む人を興奮させ、目が覚める

日々徒然

「ゆってぃくんは将来何をするの?」
と目を輝かせながら聞かれる機会は一向に減りません。

社会人になってみると、周りでは「将来は何をやりたいの?」という社交辞令が飛び交っていますが、誰も本気で聞いていないし、誰も本気で答えていないことに気づき驚きました。

それはまるで何も考えずに「おはよう」と言っているくらいの社交辞令なのだと。同じ部類の言葉なのだと気付いて周りを眺めていたのですが。

と同時に、冒頭の「ゆってぃくんは将来何をするの?」と前のめりで聞かれることが多く、そのトーンや表情は社交辞令とは思えないものも多かった。不思議なものですがそういう気配は伝わるのですが。

やっぱり僕は本を書きたいと、改めて思うのです。

人を感動させる文章を書きたい。人を感動させる仕事がしたい。

寝不足な人の眠気まなこを見開かせるような本を書きたい。

夜更けの薄暗い中で必死に明かりをつけて読んでくれるような文章を書きたい。

憂鬱な今日を終える人が、明日も頑張ろうと思えるようなメッセージを残したい。

自分の人生もまだまだ捨てたもんじゃないんだと、本気で思える言葉を届けたい。

 

10代の頃、必死で何かを求めるように毎日毎日、貪り読んだ本たちが今の僕を作っています。

暗闇の中、一筋の光となって人生の希望を捨てずにいられたのは、あの本の言葉たちがあったからです。

お金がなくても、本だけは必死になって買おうとしていた。

その言葉の一つ一つが今の僕自身を作っているし、いろんな経験が味の掛け算となって僕を通って出てくる言葉になっています。

コンサル業も人材業もそれなりに楽しいし、僕に合っていますが、人生死ぬまでの仕事にするかと言われれば別の話。

大学時代や新卒時代は、自分自身の思いや考えを表現する場が文章を書くことしかなかった。だからそこには燻りや想いの激しさが言葉になって表れていた。

仕事ができるようになるにつれ、自分自身が出来ることが増えるにつれ、考えや想いを表現する手段が増えていった。それが楽しかったし、嬉しかった。

まだまだ継続していきますが、でも結局は巡り巡って「言葉を届けたい」というところに戻ってくるのだと思うのです。

出会った人の一生に残る仕事をしたいですね。