僕が見えている世界について話します。
意外(?)かもしれませんが、僕は小中高とサッカーに熱中していたサッカー少年でした。
好きなサッカー選手はもっぱらジエディーヌ・ジダン。フランス代表の「10番」といえばの選手で、レアル・マドリードで監督でもCL連覇を成し遂げた往年の名選手です。
現役選手で一番参考にしていた選手は、バルセロナ(スペイン)のシャビ。
僕がいま、外から見ていて「こういう選手になりたい!」と興奮するのは、同じくバルセロナ(スペイン)のブスケツ。
サッカー素人の人は何を言っているかは分からないと思いますが、ようは「頭がよくて絵を描ける選手」が好きなのです。
日本人でいえば、一番好きな選手は中村俊輔。これはもう間違いない。
その次は?もちろん遠藤保仁です。ようはファンタジスタ系に惚れるのです。
そして3番目は?迷うことなく中村憲剛。サッカーIQが高い人が好き。
なぜならば、僕自身もずっと頭でサッカーをしていたという意識が強くあったからです。身体が小さければ、身体を触らせないプレーの仕方があるのです。
中村憲剛選手は大卒プロで川崎フロンターレ一筋の選手。
昨年、J初優勝を飾り40歳で現役引退をしました。
いま、TVやYouTubeで中村憲剛さんの取り合いが行われていて、どこもかしこも中村憲剛さんがコメンテーターとして出演しているのを、サッカー番組好きなら感じているのだと思います。
昨年、無敵の強さでJリーグ優勝を成し遂げた川崎フロンターレは、歴代Jクラブの中で最強という呼び名も高い。
何がすごいかというスキル面の解説は解説者たちにお任せをしますが、僕はやっぱり中村憲剛さんが築き上げた川崎の中盤のベースに、前風間八宏監督が一段階も二段階も「止める・蹴る」の技術レベルを引き上げて、そこに新たな選手たちが加わって、完成度の高いチームになったのだと思うのです。
2010年前後の無敵艦隊スペイン、歴代最高峰と呼ばれたバルセロナを彷彿とさせるJクラブです。八宏監督はバルサニスタでしたからね。笑
とまあサッカーコラムはさておき、ここかはちょっと僕の話を。
僕はいまだに毎日、サッカーの試合をネットで見ます。
流石に90分フルセットの試合を見ることは減りましたが、J速報も海外も、今はDAZNでハイライトが簡単に見れます。
何が楽しいかって、中村憲剛さんが語るインタビューじゃないけれど、ようは自分なりの方程式を見つけることなのです。
「全体を描くこと」と「要素に分解すること」を繰り返しながらサッカーを見て、チームの戦術を考えたり、プレイヤーの視点になってみたり、あるいは技術的に何が上手いのかという解を自分なりに見出すこと。
そういったことを考えるプロセスそのものが僕にとって至福の時間なのです。
もちろんこれにはサッカーに対するある一定の知識や経験が必要です。
僕は現役を離れて10年以上経ちますが、体と脳に染み付いた技術的な感覚というのは抜けませんから、いまだにプロの試合を見た時に彼らの止める・蹴るの感覚が頭の中で感じることができます。超具体的に手にとるようにイメージできるということです。
もちろんイメージできることと、それを実現できる身体能力は別の話なので、僕が彼らと同程度にフィールドで表現することは無理だったわけですが(できていたら僕がプロになっていた笑)、いちファンとしての楽しみとしては十分なわけです。
キックやトラップの一つをとっても、インサイドなのか、インフロントなのか。つま先で止めているのか、体全体で吸収しているのか、とか。
面で捉えるインサイドキックでこれだけグラウンダーで早く正確なキックができることが中村憲剛選手のすごいところだよなとか、いかにピタッと足元に止めて顔を上げられるかで全体のスピードが全く違ってくるんだよなとか。
「くさびのボールが入った、前を向けそう」と思って実際に前を向いたら嬉しいし、パッと顔を上げた瞬間を見て「僕ならこのコースに出す」とか「1メートル運んでズラしてワンテンポ溜める」といった僕の判断が、実際の選手のプレーとどこまで合致するのか。
合致したら嬉しいし、「うわ、囲まれている中でパス出された、きついこれ無理どうしよう」と思った局面でうまく捌かれると「やられた!そんな判断があるのか」ともっと嬉しくなる(というか興奮する)わけです。
スルーパスに反応したフォワードがシュートを打つ局面で、GWの股を抜くのか、ファー低めなのかニア上なのか、あるいはキックフェイントで切り返すのか。僕ならどうする?を確かめに行くのがものすごく楽しい。
全部の局面をそうやって見ているので、見れば見るほどサッカーが上手くなっていく感覚に苛まれるのです笑(そんなことはない)。
方程式を考える楽しみ
僕は今、絶賛ビジネスパーソンとして日々、ビジネスの戦いを続けています。
趣味は?と言われたら、本も映画も毎日見るし、サッカーを見ること以外では毎日将棋を見てネット対局を指します。休日はAIを使って将棋の研究です。
映画においてもどんな構成で、伏線は何で、演技の惹き付けられるところはどういうところで、僕は物語のどういうところがいいと思ったのか、それはなぜか。
「僕が作るならこう考える」という解答合わせを実際の映画にしに行って、予想外であればあるほど楽しい。だから映画はたまらないのです。
将棋も同じ。戦術が毎日のように進化する将棋世界の中で、毎日いくつかの棋譜を頭の中に入れて、自分自身が指してみる。何が良いのか悪いのか(将棋の戦法には必ずメリットとセットでデメリットがある)、実対局で指すとどうなるのか、ということを試したり考えたりするのが何よりも楽しいのです。
はたまた僕は毎日音楽を聴くのですが、色んなアーティストの映像をYouTubeで見る中で考えることは、曲の構成ってどうなっているのかとか、何がこのバンドのうまさなんだろうとか、歌い方の要素分解(ここはファルセット、ここはウィスパーボイス、ここで息継ぎなんだ、とか)もするし、ある程度のコード進行も聞き分けられるので「ここでコードをこうするのか!オシャレだな覚えておこう」とか、そういった視点でしか見れなくなっているのです。
ぜんぶが、同じなのです。違うものだけど、考え方は同じで、考える素材が異なる。のめり込めばのめり込むほど、自分の中の引き出しが増えていく感覚がたまらなく楽しいのです。
原動力はおそらく、原理原則や方程式を見出したいという探究心と、それを考えるプロセスの知的刺激が楽しいから。
僕は日々、街を見て、電車に乗る時も、人の群れを眺める時も、その裏側にある”なにか”を見出したくて、それが楽しくて今を生きているのです。
東京はその刺激が満ちている。今の僕にはそれがたまらないのです。