役に立つ仕事

日々徒然

「直接的に人の役に立つ仕事」が社会的に見直されている。
と言われているけれど実はそれって、そう思いたい人たちがそう思い込んでいるだけなのではないか。

僕が思うに、二極化ではないだろうか。

今までもそうだったように、ダイレクトに人の役に立つ仕事というのはどうしても薄利多売にならざるを得ない。これからはもっとそうなる。
そして一瞬にして膨大な価値を生み出す人たち、アーティストやスポーツ選手、プロゲーマー、あとは著名なビジネスパーソンもそうだけれど、共通しているのは「遊びの延長線」を仕事にしているということ。

不思議だよね。

世の中をよ〜く見渡してみると、案外面白いことがたくさん起こっている。

時代の針は進む という内容を書いたのだけれど、何かによって大きく損をする社会があれば、(多くの目には見えなけれど)それによって得する社会も存在するということだ。

イメージと実態は違う場合が多いので、例えば慎重を期しているように見える人は、実は慎重なフリをしているだけかもしれない。大胆を期しているように見えるのであれば、実は臆病な裏返しなのかもしれない。

何をどう書けば良いかわからなくなってきた。笑

言いたいのは、社会が大きくガラガラポの状態になると、本当に必要なものが浮き彫りになる。渦中を抜けて落ち着いた時に、一掃されていたものはいずれ不要になるもので、そのスピードが早くなったというだけだ。

仕事の意味を考えるきっかけはラッキーだ

この文章を書いている5月の大型連休が明けた5月7日から、再び社会全体が1ヶ月近くの自粛モードが継続する。

人と人とが接触する仕事は、今後一掃されていくわけだけれど、それがなぜだが考えたことがあるだろうか。
バスやタクシーの運転手という仕事も、確実に無くなる。それはなぜだろうか。

いま、授業ができないと叫んでいる学校の教師という役割も、不要になる。というか、そもそもこれだけインターネットが普及した今、旧態依然の学校教育や一生授業というスタイルにこだわる必要はどこにもないのだけれど。

一般的に言われていた「ホワイトワーカー」という職業(若干、区別的な用語を作るのが上手い国だよねと思う)も、その大半が不要になる。
何もせずとも給料がもらえる不思議な仕組みが昭和から平成の入り口くらいまではあったのだけれど、昭和の貯金もすでに平成の間に日本全体で消費し尽くしてしまったので、これからはオフィスワーカー自体が絶滅危惧種になる。

いま、自分が関わっている仕事が本当に意味のある仕事なのか?ということを一度、考えてみるきっかけにしてみよう。

意味があるからGoodで、ないからBadという話をしているのではないです、念のため。そもそも大半の仕事は生まれて消えていくわけだから、意味のある状況もあるし、ない状況もある。そういうものだ。

でも、仕事の意味だとか、これからどうなるんだろうだとか、そういうことを「全く考えずにただやるだけ」なのと「考えながら向き合ってみる」というのは、全く違う。と僕は思うのだけれど、いかがだろうか。

お堅いことばかり書いてごめんね!

 

<追伸>
余談だけれど、いま、自転車業界がものすごく伸びているらしい。面白いよね。
自動車ではなく、自転車。サイクリングの方だ。

電動自転車がバカ売れしている状態なんだって。

あと、ファーストフードのチェーン店も盛り上がっているらしい。モスバーガーとかマクドナルドとかね。家にいると時々食べたくなるよね。