時代の針は進む

思うこと

さて、前回書いた記事の続きを。

僕は近い将来、日本でも海外のようなデモや暴動が起きるのではと、割と真剣に思っています。
日本人の性格特性上、なかなか社会的なデモや暴動を起こすというのは考えにくいので、今の日本社会でそれらが起こることは非日常です。

(余談ですが、日本人は他人に攻撃したり、場合によっては殺したりするのではなく、その矛先を自分に向けがちな社会文化ですよね)

いま、コロナショックで職を失い、どうしようもなくて犯罪に手を染めて逮捕される、という人のニュースが時折流れてきます。
例えば1人が窃盗を起こすと犯罪ですが、これが千人や1万人集まると、それらは犯罪を通り越してデモ、暴動になります。

コロナに関係なく、日本経済全体は下り坂、そして二極化の拡大をしていくというのは何度か書いている内容ですが、それに加えて前回の記事で「若者は時給500円以下で働くシニア層と仕事を奪い合う時代が来る」ということを書きました。

日本の若者におけるインターネットの普及率は限りなく100%に近いですから、そのうち耐えられなくなった若者世代が集い、他人を攻撃することで金品を手に入れようと考えたり、あるいはデモを起こして社会に訴えかける、という(意味合いは少し異なりますが)かつて日本の大学論争時代のような社会が到来する可能性は大きいと思っています。

社会というシステムがいま、そちらの方向に進んでいるように見えるのは、僕だけでしょうか。

民主主義(選挙)によって社会システムを変えるのは、今のところ難しそうだ、ということも書きましたが、じゃあ、どうすれば良いのか?

以前、著名な誰かも言っていたような気がするのですが、社会構造の「ガラガラポン」が起こることを期待する人も多いのです。
実際に世界では、例えばデモ集団に参加したり、なんなら自らデモを呼びかけてみたり、過激派になるとテロリスト集団に加担してみたり、ということをする人も多いです。

彼ら彼女らはもちろん、それらが犯罪だということを知っているはずです。
(直接聞いたことがあるわけではないので分かりませんが、、)

それでも、彼ら彼女らが加担する理由というのは、運が良ければ逮捕されずに数年ぶんもの年収に相当する金品が(窃盗などによって)手に入ったり、あるいは、社会構造が大きく変わる運ゲーにトライしてみよう、と考えている人も一定数いるはずです。

合理的な資本主義社会のルールでは、弱者はほぼ絶対に勝てない、上にはいけないと悟ったのならば、既存のルールをぶっ壊してしまえ、とやる人が一定数いてもおかしくないのです。

そういった意味で、社会構造をまるっとひっくり返す”何か”がないかと、淡い期待を抱いていた若者たちと、若者世代にお金を配らない既存の構造を維持したい既得権益者層の(いわばバトルのような・・)向き合いが続きていたのが、日本んにおける平成の時代だったのではないでしょうか。

コロナショックはある意味社会のガラガラポン

そこで起きたのが、2020年のコロナショックです。

人類の歴史には、いくつかのターニングポイントがありました。
それらは外的要因・内的要因によって引き起こされた、社会構造の変化のポイントです。

例えば過去3度の産業革命もそう。自動車の発明、最近だとiPhoneの発明なんかもそうですね。
日本だと阪神淡路大震災や、東日本大震災などの災害もそれに近いかもしれません。

あらゆる社会構造を書き換えるようなポイントの中でも、コロナショックは稀に見る大きなターニングポイントで、10年以上の時代の変化をたった数ヶ月で一気に進めるだけのインパクトがありました。
仮に来年、コロナショックがひと段落したとしても、2019年以前の社会には絶対に戻りません。次の時代の到来です。

ここからはSFだと思って読んでくださいね。

あえて顰蹙を買う書き方をしますが、コロナショックによってAI時代の到来は促進され、本当に必要なものが浮き彫りになったことで、社会的に不要だと思われた人・もの・仕組みが一掃されたと考える人がいてもおかしくないのです。

もし、あなたが日本の中における偉い人側の立場だったら、どうしますか?

これまた別の著名人が発言していたことを引用しますが、日本におけるコロナウイルスの拡大は、人災なのだと。僕は一理あると思っています。あえて書いていますよ。

外出や人との接触を原則OKとしている先進国は日本だけですし、そもそも初期段階で中国の方々を日本国内に渡航禁止にしなかった(できなかった)のは国が決めた方針です。
見方によっては、ウイルスの拡散を促進しているとも取れなくもない。という過激な書き方をしますが、事実だけを並べてみると・・・

じゃあ、なぜそうなっているのか?

物事には必ず理由があります。
もしかすると、もしかすると、それによって得をする人たちがいるのかもしれませんね。まさにSFのような想像の世界の話です。

さて、少々脱線しましたが、僕が言いたかったのは今回のコロナショックはある意味、社会全体のガラガラポンになりうるということです。

社会構造のリセットであり、新たな時代のリスタートなのですが、想像とはいえ僕がブログに書いていることにもまた、理由があるのかもしれませんね。

それでも時代は進む

ここからは想像から戻って現実的な話を書きます。

まず、大きな社会変化によってもたらされた混乱の渦が収まるまでは、言葉を選ばずに言うと「なんでもありの状態」が続きます。社会とはそういうものなのです。

なぜか。それは今までのルールが覆され、安定が安定ではなくなり、正しさの定義が一旦フラットになるからです。
今回の場合、落ち着くまでにどのくらいに時間を要するのかは分かりませんが(僕は個人的には来年くらいまではかかると思っている)、その後には次の時代の資本主義が到来します。資本主義という構造自体はおそらく変わりませんが、中身はバージョンアップされるはずです。

個人の生き方も、価値観も、企業のあり方も、そしてそれらを支える「経済(=お金)」という考え方も変化するわけですから、それらを嘆くのではなく、そういうものだと受け入れ、その変化の波に乗っかった方が良いのだと僕は思います。

もちろん、個人の自由です。

でも、個人的な話でアレですが、僕の両親は、まだまだ元気にやれると年齢ですが、完全に人生に対して思考停止になっています。
しょうがないのかもしれませんが、「今できることをやろう」といってやっていることは家の掃除と断捨離です。将来のために最大限今やれることが、大掃除だというのです。

この大型連休(GW)の話ではないですよ。ここ1ヶ月以上、そんなことを言っている。そういう人たちに対していくら本を読もうとか、今の仕事でやれることはこういうことがあるんじゃない?とか、生き方はこう変わるんじゃない?と言ったところで、その言葉は届かないのです。

そうやって「変わりたくない」とか「自分の境遇から目を背けたい」とか、そういう人も一定数います。もちろん個人の自由なので、それはそれで良いのです。僕が無理やり「やれ、なんだ!」といっても、それはただの迷惑ですから、もちろんそんなことはしません。

でも、もし、あなたが「ワンチャン、変化の波に乗ってみるのもアリかも」と思うのであれば、挑戦してみるのも面白いと思うのです。

僕自身も、面白いので乗っかってみる派です。サーフィンでも波に乗ってみないと見えない景色があるのです。そうではなくて「社会が悪い」だとか「会社がダメだ」とか「国がよくない」とか、批判する側で過ごすのも自由だと思います。

もしあなたが若者世代で、今まで書いたような内容を踏まえて「突き抜けてみたいかも」と思うのであれば、是非、やってみましょう。僕はわりと面白い時代になると思っていますし、僕が思うことはブログにも書きます。是非、あなたのイロイロも教えてくれたら嬉しいです。

あえて「若者世代」と書いていますが、ここだけの話、挑戦するのに年齢は関係ありませんから。

それでも、時代は進むのです。

 

いつも読んでくださって、ありがとう。