65歳以上のシニア世代が「時給500円」で働く時代の入り口に差し掛かっている

2020年5月6日働き方・キャリア, 思うこと

僕のブログの中には、時折「未来予測」的な内容が含まれているので、定期的に読んでもらえると、未来の可能性の幅が見えるようになりますよ。笑

さて、最近僕が考えていることの1つが、タイトルに書いた『65歳以上のシニア世代が「時給500円」で働く時代の入り口に差し掛かっている』ということです。

仕事柄、シニア世代のいろんな方々と関わる機会も多いのですが、僕ら20代の世代がピンキリのように、キャリアの出口にいる(と一旦は言っておきますが)シニア世代もピンキリでいろんな人がいます。

いま、国が諸手を挙げて、やれ「年金は少なくなる」だとか「高齢者も働く人生100年時代になった」ということを言っていますが、ようは多くの人が60歳で定年退職をして年金をもらう側になってしまっては国の経済が回らないので、65歳になっても70歳になっても働いて税金を生み出してね、というメッセージを煽っているわけですよね。

そうは言っても今現在シニア世代の方々は逃げきりができるギリギリの世代なので、まだ大丈夫。

ちょっとやばいかも・・というのは、僕ら世代(今の20代〜40代くらいまでの若者世代)というのは自明の理なのですが、その話を少しだけ書いてみようと思います。

選挙権1人1票は本当に平等か?

まずもって僕は特定の政治思想を持ち合わせているわけではないので、安心して続きを読んでいただきたいのですが、今の日本社会において、物事を国民みんなの総意で決める「多数決方式」(=これを「民主主義」と呼ぶわけです)がルールとして定められているわけです。

もちろん選挙権が平等に与えられていなかった時代を経て、僕らの先祖がその権利を勝ち取ったわけで、今の日本なり先進国があるわけです。

ですが、今は昔と社会背景も状況設定も違う。
一番大きな違いは「年齢構成が異なる」ということです。

20代の僕がいうのもなんですが、今の日本は若者にとって有利な社会構造ではありません。若者にはお金は回ってこず、社会のお金の大半は高齢者に回されます。(より具体的にいうと高齢者の医療費に回されます)

そして、その社会構造は今しばらくは変わりません。若者に不利益な社会構造が維持され、むしろ拡大していくということです。

じゃあ、どうするか?

選挙に行って投票することをいう人も多いですが、少なくとも今しばらくの間は若者がいくら選挙に行こうが投票しようが、若者に有利な政策は実現されません。
なぜならば、有権者の大半は高齢者が占めているので、1人1票の選挙権だと、構造上、高齢者に有利な政策を唱える人しか選挙に通らず、結果として若者世代にとっては不利な社会が加速していくのです。ちょっと考えれば誰でもわかる単純な算数の話です。

それが良いとか悪いとか、そういう議論をしているのではありませんし、選挙が無駄だとか無意味だとかそういうことを言っているのでもありませんよ、悪しからず。

考えて欲しいのは、本当に1人1票の投票券が「平等」なのか?ということであり、それを踏まえて個人がどう生き方を考えるか?ということ。
人口構成比率に偏りがあるのであれば、例えば今しばらくの間は若者1人につき投票権が2票です、などとしない限りは、若者有利の社会の実現はありません。

別に若者有利な社会でなくとも良いじゃないか、というのが今の日本国民の意思表示なので、それはそれで良いとは思うのです。事実そうなっているのですから。
でも、「若者に投資をしなくても良いよね」「それよりも大事なお金の使い先があるだろう」と言っている人たちが高齢者が大半ですよね、という事実があるだけです。

ここで「有利」という話を書いているのは、資源は有限だからであり、社会は「分配」で成り立っているからです。資本主義のルールです。
例えば全体で100のお金があった時、高齢者の方が数が多いのであれば、51以上を高齢者向けの社会実現のために分配するのは当然のことです。

何度も言いますが、僕は政策提言をしているのではなく、社会がどうなっているのかという構造を知ろうよ、と言っているだけです。

僕個人的には、選挙に期待はしていません。好き嫌いとか感情の問題ではなく、構造上の問題で、現行の選挙制度が続く限りは社会も物事も変わらないのです。

年金をもらいながら、時給500円でも働くシニアが倍増する

国は高齢者の方々に向けて「もっと長く働いてね」ということを謳っているわけですが、とはいえ今の高齢者の方々が若者世代と同じ水準で働くことはなかなか難しい。

例えば今の60代は、一昔前の60代と違ってものすごく元気です。
実際に僕の両親も60代に差し掛かりますが、まだまだ働けるし超元気です。

でも、権利は主張しますから(当然ですが)年金を受給する人たちが大半です。
長年労働をしてきた人たちは、特にその意識が強い。

社会はいま「シニアでも働く時代」となっておりながらも、高齢者にとって有利な社会構造になり、かつ、年金も(かつてほどではないにせよ)きちんと配給される。

これらの組み合わせによってどうなるかといえば、シニア世代は「時給500円でも良いから、生きがいや、やりがいを求めて働く」ということになるわけです。すばらしいですね。

コロナ前のマクドナルドに足を運んだことがある人は覚えているかもしれませんが、いま、マックの店員は主婦の人たちだったり、あるいはシニアの方々の店員さんも増えています。そういうことです。

これからはマックだけではなく、ますますシニアの世代が社会の至る所に関わるようになります。
良い側面ももちろんたくさんありますが、他方、「私は年金をもらえるので多少手取りが少なくとも良いから仕事がしたい」という人が溢れ返ると社会はどうなるか?

そうです、若者世代は時給500円のシニア世代と、仕事の奪い合いをすることになるのです。

オブラートに包んで「時給500円」と最低賃金の半分くらいの値段を書きましたが、ぶっちゃけ時給100円になってもおかしくない時代がすぐそこまできています。
雇用前提の社会が崩れかけている今、「最低賃金」という概念ですらだんだんと薄れていくわけです。

実際にフリーランスの人たちが増えつつある今、例えばクラウドワークスのようなサービスを使って仕事を請け負う人たちの時給は300円程度になっているケースもあります。(例えば記事1本を1,000円以下で書くライターとか、デザインを1,000円以下で請け負うデザイナーとか。時給換算すると・・・?)

一つの方向で見ると、労働人口が(一時的にでも)増えたように見えるし、シニアの方々にとっては「年金+ちょっとお小遣いがあればいいよね」と考える人が増える。
仕事を発注する企業としても安くでシニアの方々にお仕事を依頼できるのであればそちらが良いと考えるわけです。

それらは合理的な市場主義の考え方なわけですが、割りを食うのは若者世代です。

若者世代は年金をもらえるわけではないし、あるのは体力だけで貯蓄があるわけでもない。年功序列でもないので、一度レールから外れてしまうと当分時給500円の仕事しかなく、なんなら時給は下がる一方だという社会構造になってしまう、その入り口に差し掛かっているということです。

一部の人は、時給500円のシニア世代から仕事を奪い取れる人もいるでしょうし、あるいは新しく自分自身で仕事を作り出せるはずですし、うまく掛け算をするとそれなりに困らない経済を作れる人もいる。スキルが上がって時給が上がっていく人たちもいるでしょう。

別にどちらでも良いのですが、じゃあ、社会全体の構造変化はどうなっても良いのか?

それとこれとは、また別の議論のような気もするのですが、いかがでしょうか。

誰がいいとか悪いとか、誰かや何かのせいだとか、そういう話をしているんじゃないですよ、何度も言いますが。(あと、僕の個人的な意見ではなく、客観的な事実を書いているだけなのです)

ちょっと長くなったので、続きはまた書きます。