与えられている側の子育て論(パート1)

2020年5月3日子育て論

社内外の大人の人たちから(僕も大人だけど)教育論・子育て論を聞かれることが多くなってきた。ような気がする。前からか?

教育、子育てについて書いたブログ記事はたくさん読まれる(たまにプチ炎上した過去もある)という経験則があるので、思うところをつらつらと書いてみようと思う。

子どもをエリートコースに育てたいというのは全人類(親)の共通の願望

僕が今まで接してきた世の中の大人たち、子の親たちと話をする時に決まって「どういう方針で子育てを考えているんですか?」と聞いてみることにしている。子育ての方向性という意味だ。

そして今のところ、全親の共通の願望として「できることならば、エリートコースで育てたい」という。これには今のところ例外がない。

ここでいうエリートコースというのは、オブラートに包んでいうと「できることならいい大学に行って、できることならいい会社に就職して欲しい」という典型的な願望だ。言葉は多少違えど、本音は全てその1点に集約された。

もしかすると人によっては「エリートなんて嫌だ」という人もいるかもしれないが、今のところ僕はそういう人に出会ったことがない。いれば教えて欲しい。

オブラートに包まずに言えば「我が子には社会の勝ち組に回って欲しい」というものだ。
外では「勉強なんて」とか「学歴なんて関係ない」とか「自分で稼ぐ力の方が重要だ」ということを言う人に限って(例えば1代で成り上がったり、2代目として会社を継いだ中小企業の経営者など)我が子にはみっちり勉強をたたき込んでいたりするから人生は面白い。

もし、そう思わない親がいれば、もしかするとそう言う人はそもそも子供の人生には全く興味がない人・・かもしれない。そうではない人がいれば是非教えて欲しい。

もし、子どもが周りの人よりも賢いかもしれないと気づいたら

さて、子どもがいる親には分かるだろうが、子どもが小学校に上がってしばらくすると、我が子が勉強コースに向いているか、そうではないかと言うことが明確に分かる。

もし、勉強コースに向いているのであれば、その子は、圧倒的に少数派である「遺伝子的に授かった側」であるので、存分にその才能を伸ばして欲しい。

もし、あなたの子どもがどこからどうみても勉強では落ちこぼれ側にいるのであれば(これは説明せずとも小学校生活を数年送ると一目瞭然)、勉強以外の道を早めに見出してあげた方がいい。スポーツでもゲームでも趣味でも習い事でも良いので、勉強コースを早々にリタイアをし、子どもが好きな、興味が持つ対象を存分に一緒に味わうのだ。

一番親として残念なのは、例えば「親が自分のコンプレックス解消のための教育」を行うこと。世の中には案外こう言う親が多い。

例えば、父親が自分が甲子園に行けなかったので子供に野球を強いるとか、母親が宝塚に行けなかったので娘に宝塚教育を課すとか。
子どもがその対象を楽しんでやる場合は良いのだけれど、大半の場合、親が強いたものを嫌いになると言うのが子どもの性質なので、できれば親自身のコンプレックス解消のために子育てをするのはやめた方が、子ども自身の(ひいては親自身の)人生のためだと、僕は思うのだが、いかがだろうか。

あと、子どもが明らかに勉強コースに向いていない遺伝子だったにも関わらず、受験勉強を強いるのもまた、子どもにとっては結構しんどい人生だったりもする。

 

さて、ここでは幸運にも我が子が「あれ?意外と勉強コースに向いているな」と感じた場合の話を広げてみたい。

勉強遺伝子を兼ね備えた子どもにとっては、小学校の勉強は「テストは満点が当たり前」というのが水準であることをまず知ろう。満点以外はあり得ないと言うのが、勉強才能を持っている子どもにとっての、呼吸と同じくらいの「当たり前」のことなのだ。

わざわざ、子どもに対して「あなたは勉強が好き?」だとか「どの教科が得意?」とか聞かずとも、子ども自身も小学校低学年のうちから「あれ?なんで周りの人たちはこんな簡単なことも分からないのだろう」と思っているから大丈夫だ。

「僕は(私は)勉強ができるかも」と気づくのではなくて、「どうして周りの人はこんな当たり前の話が分からないのだろう」と思うのだ。これには例外がない。
人間が呼吸をする時に「僕は呼吸ができるからすごい」とは思わないだろう。呼吸がうまくできていない人がいれば「なんでできないのだろう?」と思う、その感覚だ。

小学校高学年くらいになると、もしその小学校が普通の公立小学校の場合、教師よりも勉強ができる状態になる。書き間違いではない、本当に勉強コースが向いている子どもたちは共通して、小学校高学年の時点で公立小学校の教師たちより知能が高いし、勉強ができるし、賢い。それは言葉にせずとも全員が分かっている。

想像して欲しいのだけれど、そう言う状態になった時に、教師はどう思うか。

たかが10歳〜12歳くらいの子どもが、教師である自分自身より知能が高いのだ。大人であれば(認めたくないかもしれないが)薄々その事実に気づくので、気持ちの良いものではないかもしれない。

そうすると、どうなるか。いじめが起こるのだ。子ども同士のいじめではなく、教師が子どもに対していじめを(無意識的にでも)してしまうのだ。それが人間のサガなのだから、まずはそういうものなのだと知ろう。

もし、親にとって子どもがその状態なのであれば、上で書いた事実を知れば、何があっても対処できると思う。

 

さて、パート1を書いてみた。続きはまた。

 

<追記>
続きはこちら。まだまだ書けそう。

与えられている側の子育て論(パート2)