最後のセンター試験

2020年1月26日思うこと

ちょうど1週間前の1月19日に、1990年から30年にわたって続いた「センター試験」が1つの幕を閉じました。

センター試験の前身である「共通一次試験」から始まり今の「センター試験」へと移行をし、来年からは『大学入学共通テスト』というものへと受け継がれていきます。

枠組みや試験としての位置づけとして大きくは変わらないものの、マーク形式のセンター試験からより「思考力・判断力・表現力」を加えるものとして「記述形式」を一部の教科(数学・国語)で導入をし、問題の設定における背景を変えていくということでマイナーチェンジを図っていくということです。

記述形式はやっぱり重要

やっぱり記述形式が導入されるというのは、大きな変化だと思うのです。実際に何を・どこまでやるのか、というところは分かりませんが・・

なぜか。

それは「マーク式」と「記述式」だと同じ問題でも全く問題の難易度が異なるからです。

例えば従来のマーク形式のセンター試験において、「数学」でも解答が穴埋めになっているわけです。(1)〜(4)まで誘導があって、それぞれの穴埋めを埋めていくと。

でも、同じ問題でも誘導がなければ、おそらく正答率は半分以下になるはずです。問題の難易度自体は結構高くて、実際にセンター試験の数学で出題される問題は、大半の大学の二次試験の数学の問題と同等か、場合によってはそれ以上のこともあり得ます。
(水準以上の大学の理系学部では流石にそれはないですが・・)

問題の難易度自体は高いのですが、解答に誘導がついており、マーク式であるという理由でこれだけの回答率があるはずなのです。

文系も受験するセンター試験(ないし移行する「大学入学共通テスト」)であれば、記述式を導入すると場合によってはその問題が全滅する人が続出する可能性だって十分にあり得ます。

一次試験の難易度が上がることは、相対的に大学入試の難易度が上がることになる

まあ、実際に蓋を開けてみないと分かりませんが、実際に大学入試の一次試験の難易度が上がることは間違いなく、今と比較すると相対的に大学入試の難易度が上がることになると、現段階で僕はそう思っています。

というか、いまの時代の大学入試の難易度がイージーすぎるだけなのです。

なぜ、「高等教育」と呼ばれる大学がここまで簡単になったのかというと、そりゃあ必要のない大学まで含めて、大学の数が膨大になったから。特に私立大学。大学はこんなに必要ない。笑

今の日本で四年制大学の進学率は約50%ですが、実際に大学に通った人たちと接してみると、(大きな声では言えないですが)ぶっちゃけ「え、本当に大学に受かったの!?」という人たちも多い。

そりゃあそうだ、願書を出して「1教科+面接」で受かる私立大学も多いし、早稲田慶應もセンター利用入試というふざけた(笑)入試も実施している。
AO入試も推薦入試もいいですが、純粋に学力のフィルターを超えた人が半数もいないという大学に、「頭脳」を求めるのはちときつい。個性ならいいけどね。

前にもブログで何度か書いているけれど、これからますます学歴社会に拍車がかかるし、その背景はどんどんといらない大学が潰れて行かざるを得ないから。そりゃあそうだ。短大も専門大学も、高卒と頭脳の水準はほぼ同じなのだから、お化粧として大学の4年間にお金を払うことが難しくなってくるというのが、日本全体の今後の話。

知識自体は役に立たないは半分正解だが、やっぱり重要

インターネットがもたらした情報革命と、スマホの時代によって、知識そのものに価値はないと言われるようになった。

確かに知識自体は検索すれば1分で答えにたどり着ける。

「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」というような、「1192年」という年号を覚えること自体に価値があるかどうかと言われると、結構難しいと思う。

でもそれは大学入試において「鎌倉幕府の設立は何年ですか?」という問い自体に価値はないということなのであり、「年代と出来事」を踏まえて「その時代背景」とか「その後に何が起こったのか」とか、過去の時代を学ぶということにおいてはやっぱり知識は有用なのであると思う。

難関大学と呼ばれる大学の二次試験の問題は、単に「一問一答」のようなものではなく、きちんと「思考」を書かせる(=論述問題)がある。

物事を思考するには最低限の知識は必要だから、やっぱり入試のあり方が少しずつ変わっていくことは良いのではないか、という意見でした。笑

 

僕のセンター試験の思い出はちょっとまたあとで書いてみようかな。