子供の持つ好奇心に蓋をしない

2021年9月9日子育て論, 思うこと

素晴らしい親同士の会話を聞いていて思ったことをつらつらと書きます。

やっぱり、子育てで一番大事なことって、子どもの好奇心にとことん付き合うこと。これに尽きるんじゃないかと思っています。

電車に乗っている小さな子どもたちをみていると、電車の窓を見ながら「あれは何?」「これはどうして?」と母親を困らせまくっている。

その好奇心は、幼い頃は誰でも持っていたものだと思うのです。

でも、子どもの「なぜ?」に応える余裕がないときに、つい親や大人は「今は忙しいからあとで!」と言ってしまう。
そして多くの場合、その「あとで」が実現されることはないので、子供は疑問を持つことをやめてしまう。だって、聞いてもその疑問が解決されることはないのだから・・

教育において大事なことは2つあると思っていて、1つは「待つ」こと。そしてもう1つは「好奇心に蓋をしない」ことだと思っています。
(他にもあると思うけれど、今思いつく2つを書きました)

僕は幼少期、割と幼い頃からの記憶が鮮明に残っているのですが、一度も母親から「早くして」と言われたことがなくて、それは母親にものすごく感謝をしている。
いくらでも時間をかけて、いくらでも好きなことを、いくらでも自己完結できるように(放置ではなく)見守ってもらった記憶があるのです。

今思い出したので書きますが、幼い頃、ばあちゃん家に泊まりに行くのが週末の日課でした。
そんな中、テレビのコマーシャルを見て僕は「あのトマトが食べたい!」といったそうです。

トマトの時期じゃなかったにもかかわらず、孫が言うからということで、ばあちゃんと2人で歩いてトマトを買いに行ったと。

でも、僕は苦手な食事の代表がトマトなのです。そう、僕はトマトが大の苦手だったのです・・(今は少し食べれるようになった)

ということで、せっかく買ってきたトマトを一口しか食べずに吐き出して「おいしくない」と言ったそう。。ごめんね。

でも、その時僕は(おそらく)「トマトという赤い食べ物はおいしくない」ということを学んだのだと思うのです。
美味しそうに見える赤い野菜が食べたい!という好奇心を満たし、食べてみたけれど実は好きじゃなかったということを学ぶことができた。笑

僕はそうやって、いろんな知的好奇心をちゃんと満たしてくれる環境で育つことができたおかげで、物心がついても「好奇心を追求していいんだ!」という前提で自分の知りたいことを知り、触れたいものに触れ、やりたいことをやることができました。

そして、その好奇心の赴くままに過ごし、読書の楽しさ、学問の楽しさに気づくことができて、今ここにいます。

このブログのタイトルである「大人の少年で、僕はありたい。」という言葉は、あの頃は誰もが持っていた好奇心を、大人になっても忘れないまま、そんな少年のような大人でありたいという願いが込められています。



子どもの「なんで?」と同じことが社会でも起こっている

さて、少し話を変えまして。

子どもの好奇心に蓋をするのは大人であるという話を書きましたが、実は社会でも同じようなことが起こっているのですが、お分かりでしょうか。

例えば会社に新しく新入社員が入ってきます。実際に僕の経験の話なのですが、会社には独自のルールや暗黙の認識みたいなものがあって(それはまたマナーなどとは異なるもの)、外からまっさらに入ってきた人たちにとっては全てが新鮮です。

そして同時に、全てが違和感なのですから、当然聞くわけですよね。

「これって、どういう意味ですか?」って。

そうすると、ほとんどの場合の回答はこうです。

「うちの業界(会社)では、こういうものです」と。

実はこれで、世の中の多くの会社はものすごーく損をしている。

なぜか。新入社員(や新しく会社に入ってきた人)たちが思う「あれ?これってなんで?」という疑問や違和感こそ、企業が一番取り入れなければならない「外の声」だからです。

「これって、なんでこうしているの?なんだか、おかしくない?」

という疑問や違和感は、実は一番正しい感覚だったりするのです。でも、社内にいると、当たり前や常識というものにいつの間にか染まっているのですね。

新入社員に「自社の常識」を教えるなんてバカなことをするな

本当に勿体無い・・

せっかく新鮮な感覚を持った優秀な若い人たちが入ってくるのに、昔からいる人たちがいい気分になるための、研修とは名ばかりの洗脳をするのはやめましょう。

機会損失です。嫌味じゃないよ、真面目な話。

社会人としてのマナーや前提知識を教えるのはもちろん大事。
社内の規則や、過去の仕事内容を「前提条件として」共有することも勿論大切なことです。

ですが、「これはこういうものだから」とか「うちの会社ではこうだから」「うちの業界ではこれが常識だから」ということを、まっさらなキャンパスにいきなり筆で塗りたくるような、そんな暴挙は本当にやめた方がいい。

なぜならば、自社の常識は他社の非常識であり、ある業界のルールは他の業界では時代遅れ、ということが日常茶飯事だからです。

前提条件を共有した上で、新鮮な感覚の人たちが自社や、自分たちの業界をどう見るのか。他の業界から入ってきた人が何に違和感を覚えるのか。

その疑問や違和感をきちんとキャッチアップして、正しい判断を下していくのが経営者の役割であり、そしていつの時代も、その違和感を形にして新たなビジネスを生み出していくのが、業界を覆していく人たちの共通点です。

 

自分の好奇心に蓋をしているのは自分。
小さな疑問や違和感を大切にしよう。