自分の言葉で語ることの大切さ

2019年1月20日思うこと

人間には、2つの話し方をする人がいます。

1つは、自分自身の言葉で語る人。

もう1つは、誰かの言葉の受け売りでしか語れない人。

この2通りだと、最近改めて考えさせられています。

誰かの言葉の受け売りを語ることの怖さは、”誰かの言葉を話している”ということに気がつかないことです。

自分自身の言葉ではないことに、違和感を持たなくてなってしまったら、それはすごく淋しいこと。

僕はそう思います。

誰かの言葉で語る人と、そうでない人。

そこには、思考回路の違いがあるんですね。

その思考回路とは、

「模範解答を探す」

というところにつきるんです。

正論と一般論は、誰でも語れます。

否、むしろ、ほとんどの人が、正論や一般論を語る。

でも、そこにはあなた自身の言葉はないんです。

だから、軽い。

言葉のひとつひとつが、軽いんです。

人の心には届かないし、響かない。

話している人の向こう側で、見えない誰かが喋っているような感覚になってしまいます。

正論や一般論というのは、いわゆる「模範解答」です。

そこを求めるという思考回路になってしまうと、いつだって、どこにいたって、正しいことを探そうとしてしまします。無意識的に。

でも、そもそも僕らが向き合う問題というのは、正解があるのかも分からない。

何が正解かも分からない。

むしろ、問題自体が正しいかも、分からないんです。

ほとんどがそういうものなのに、ものすごく限られた模範解答を探そうとする姿勢でいると、社会では搾取される側で終わってしまう。

自分の頭で考えないから。

模範解答を探して、覚える。

それは”思考停止”の状態なんですね。

翻って。

自分自身の言葉で語る人の言葉は、難しい言葉で語りません。

難しい言葉で語るわけでもないのにもかかわらず、すごく重い。

相手の心に届くし、響くんですね。

それが説得力になる。

それは、自分の言葉で語っているから。

誰かの言葉ではなく、自分が経験したことや考えたこと、思っていることを、自分の言葉にして伝えているからなんです。

その本質に、どれだけ早い時期に気づくことができるかは、すごく大切。

もちろん、本を読み、人に会って、自分とは違う考えや価値観を自分の中に入れることは大切です。

いったんは否定せずに飲み込むことは、すごく大切。

でも、それを自分で解釈して、考えて、行動して、やっと自分の言葉になるんです。

その作業を飛ばしてしまうと、軽い言葉しか発せなくなってしまうんですね。

僕は、常に僕自身の言葉で語り続けたい。

それを気づかせてくれて、ありがとう。

出会いに感謝。

<追伸>

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