自分の言葉で語ることの大切さ
人間には、2つの話し方をする人がいます。
1つは、自分自身の言葉で語る人。
もう1つは、誰かの言葉の受け売りでしか語れない人。
この2通りだと、最近改めて考えさせられています。
誰かの言葉の受け売りを語ることの怖さは、”誰かの言葉を話している”ということに気がつかないことです。
自分自身の言葉ではないことに、違和感を持たなくてなってしまったら、それはすごく淋しいこと。
僕はそう思います。
誰かの言葉で語る人と、そうでない人。
そこには、思考回路の違いがあるんですね。
その思考回路とは、
「模範解答を探す」
というところにつきるんです。
正論と一般論は、誰でも語れます。
否、むしろ、ほとんどの人が、正論や一般論を語る。
でも、そこにはあなた自身の言葉はないんです。
だから、軽い。
言葉のひとつひとつが、軽いんです。
人の心には届かないし、響かない。
話している人の向こう側で、見えない誰かが喋っているような感覚になってしまいます。
正論や一般論というのは、いわゆる「模範解答」です。
そこを求めるという思考回路になってしまうと、いつだって、どこにいたって、正しいことを探そうとしてしまします。無意識的に。
でも、そもそも僕らが向き合う問題というのは、正解があるのかも分からない。
何が正解かも分からない。
むしろ、問題自体が正しいかも、分からないんです。
ほとんどがそういうものなのに、ものすごく限られた模範解答を探そうとする姿勢でいると、社会では搾取される側で終わってしまう。
自分の頭で考えないから。
模範解答を探して、覚える。
それは”思考停止”の状態なんですね。
翻って。
自分自身の言葉で語る人の言葉は、難しい言葉で語りません。
難しい言葉で語るわけでもないのにもかかわらず、すごく重い。
相手の心に届くし、響くんですね。
それが説得力になる。
それは、自分の言葉で語っているから。
誰かの言葉ではなく、自分が経験したことや考えたこと、思っていることを、自分の言葉にして伝えているからなんです。
その本質に、どれだけ早い時期に気づくことができるかは、すごく大切。
もちろん、本を読み、人に会って、自分とは違う考えや価値観を自分の中に入れることは大切です。
いったんは否定せずに飲み込むことは、すごく大切。
でも、それを自分で解釈して、考えて、行動して、やっと自分の言葉になるんです。
その作業を飛ばしてしまうと、軽い言葉しか発せなくなってしまうんですね。
僕は、常に僕自身の言葉で語り続けたい。
それを気づかせてくれて、ありがとう。
出会いに感謝。
<追伸>
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