ヘンな学校現場の実態
いやあ、非常に興味深かった。
会社の先輩の知り合いの学校教員の方と話をする機会があったのだけれど、久々に現役の学校教員の方と話をして、改めて日本の教育現場の実態を痛感した。
彼ら(=教員)は基本的にマジメで真っ直ぐ。
小学校から大学まで、わりと「優秀だね」「将来は学校の先生になったら幸せだよ」と言われて育っている人たちが多い。
実際に僕の周りにも教員免許を持っている人も多かった。
そういえば、久しぶりに思い出したのだけれど、僕自身も高校理科(大学の専門は物理)の教員免許取得の勉強をしていたし、実際に高校の母校へ教育実習まで行ったなあと。
実際は教師にはならなかったわけですが、大学時代に教員について(日本の教育の仕組みについて)学んだことは、リベラルアーツの素養としてとても効いていると思うのです。
http://yuttie.xsrv.jp/entry/2016/07/02/102653
評価機能が働かない学校現場
学校の教師というのは、基本的に皆フラットな立場です。
校長や教頭、一部の人を除き、教員は皆、経験年数の差はあれど、民間企業のように役職もないし等級もありません。
ようは「評価される仕組みがない」ということです。※生徒のことは評価するのに、、という話は一旦置いておき…
給料はもちろん年功序列で、自分がどういう授業をしても、どういう学級運営をしても、評価されないわけですから、適切に頑張れているのかどうかとか、何を指針にすれば良いのかというのは、ぶっちゃけ感覚なわけです。
極端なことを言うと、頑張っても頑張らなくとも、評価されないわけだし、いい成果を出そうと改善しても給料などに反映される仕組みがないので、それならば「最低限のことをやればいいや」となってしまうのは、当然のことですよね、という話。
皆が皆、そういうわけではないはずですが、実態として「なんであの(何もしていない)人があれだけ給料もらっているの?」という実態はあるわけで。
まあ、それを言うと民間企業もそうなんだけれど。
公務員という税金を投じて、最低限の教育を担保するという義務教育制度の構造上、それは避けられないし、変えようと思っても変わらないことだというのが実態なわけです。
ここだけの話、僕は現場レベルで何かを改善しようとすら思わないわけですが…
学校しか知らない教師。情報に触れるためには…?
ぶっちゃけると、やっぱり学校現場というのは社会から切り離されたところに存在するというのも事実。
僕の恩師が「学校は社会の縮図」という風に教えてくれましたが、必ずしもそうなっているとは限らないというのが現実なわけです。
学校が社会のほぼ全ての教師の方々が良い悪いという話ではなく、構造として何か変わる取り組みをしなければ、今の時代の中で未来の子ども達に対して、相当に時代遅れの教育を提供することになってしまうのでは?というのは個人的な危機感。
社会のためとか、教育のためという大義名分は僕にはないですが、個人的な興味も含めて、今現役の教師の方々と一緒に社会の仕組みについてのイロイロを学ぶ機会を持つことが出来れば面白いな、とは思ったり。
あとは、「教員のための〜」という何らかの情報メディアやコミュニティを、小さなレベルでもいいので各地が取り組むことはわりと有用ではないかと思っていて。
教師側からの起点でも、外部からの起点でも良いけれど、掛け算をしていくことにおける社会的な価値というのは大きいだろうなあ。なかなか見え辛いところではありますが…
というようなことを考えるきっかけをくれたことに感謝しつつ、定期的に教師向けの何某を書いていこうとも思いました。