無力さ。

2018年9月16日日々徒然

金曜日の夜、深夜0時を過ぎ、眠る前にネットをブラブラとしている中で、ふと考えたことをとりとめもなく書きます。特に他意はないんだけれど、なんだか落ち着かないなあと思ったので。

今日は、21時過ぎに自宅へ帰って来た後、大学時代の友人と久しぶりに電話で話をしました。

元々は同級生(だったはず?)で、大学時代に色々と挑戦した彼は、今年の3月で大学を卒業し、4月から社会人として次の挑戦をしようというところへ立っています。

自分で考え、自分で人生の選択をし、新たな一歩を踏み出す人は、強い。

色々と大変なこともあると思いますが。話ができて、すごくいい時間だった。

共に咲きたいですね。ありがとう。

時間という重さ

さて。

何を書こうとしたのかというと、時間というのは時に残酷だなあと思ったわけです。

僕の学生時代の同級生というのは、いま、社会人1年目(あるいは2年目の人もいる)が多いわけで、大学を卒業し、社会という大海原へ踏み出した。

けれども、多くの人が抱えている不安があると思いますが、やっぱりほとんどの人は、自らを何者だと考え、何者かになりたくて、そして、何者でもないということに気付かされます。

社会に出ると、自分以外にもすごい人はごまんといるわけで、圧倒的な壁や荒波が立ちふさがっていることを実感する。

しかも、学生から社会に出た後に、初めてその壁の大きさに実感するわけです。

そして、自らの無力さに気付かされる。

何者でもない。ただ、ちっぽけな自分自身がいることを、自分で見つめるしかないわけです。

わかっていたはずなのに。こんなはずではなかったのに。

上にも下にも、横にも、前にも、後ろにも。

自分以外の人たちがたくさんいることを知り、無力感に苛まれ、孤独感を味わい、今の自分自身を直視できないけれど、そこには現実しかないわけで。

みたいなことが、多々とあると思うんです。

たとえ学生時代に、それなりに社会や大人を見ていたとしても、同じことだと思います。本当は、何も見えていなかったのかもしれない。

夢破れ、落ち込み、どうしよもなくなっていく。

初めて味わう圧倒的な挫折感。どうしようもない苛立ち。

それらを一つ一つ味わって、これ以上ない感情に浸って、眠れない夜を数えて。

時間というのは、時として残酷だと思うんです。

ああ、贅沢は言わないけれど、もう一度あの頃に戻ることができたならば。

あの頃の、何も考える必要がなかった時間が、幸せだったのか。それとも、今とは別の道があったかもしれない。本当にこんなはずだったのか?と。

あの時代を共に過ごした同世代たちは今、どこで、何をやっているのだろうか。

そんなことを考えると、眠れなくなってしまう。

***

僕らは、そんな社会の中で生きているのかもしれない。

なんてことを、ふと、考えたりしていました。

僕には、本当の意味で人の気持ちが分からないのかもしれない。

結局は、少しずつでもいいけれど、今の自分を受け入れていくしかなくて。

立ち止まってもよくて、少しずつ。

20代なんていうのは、あっという間に過ぎてしまう。

だからこそ、しんどさも、苛立ちも、無念さも、全部を味わう今を生きるしかないのだろうか。

時々、色々なものが僕の中を駆け巡るようです。

ビールでも飲んで、眠りにつこうか。

明日は土曜日。お腹が空いて眠れなくなるまで、夢の中で旅していたい。