「外国語の勉強こそがスキルだ!」と安易に思っている人へ
スキルの話がちょっと続いているので乗っかって思うことを書きます。
スキルといえば!の代表格である「語学」の問題がありますよね。
なぜか日本では就活でも転職でも「スキル習得=英語学習」と思う習慣があり。
日本には異常と呼べるほどの「英語くらい話せないと会」の会員の方が多いようでいらっしゃいますが、その会の会員の方で実際に英語を話せるようになっている人にほとんど会ったことがないのですが、いかがでしょうか。
あなたの知り合いで、「英語くらい話せないと会」の会員の人って割といると思うのですが、実際に話せる人って知っていますか?という話。
(あるいは、あなた自身が会員かもしれませんね!)
英語についての論争は色々あるので僕はどちらでも良いと思いますが、話せなくとも読み書きくらいはできた方が良いのではないでしょうか?というくらいには思っています。
実際これから海外に拠点を移して何かの仕事をするという人や、あるいは海外の人とやりとりをする機会というのは増えてくるはずなので、読み書きくらいはできていた方が良いと思います。
とはいえ日本人の大半は中学+高校の6年間でわりと受験英語をきちんとやっている人がおいので、最低限の文法とか単語くらいは知っている人が多いので、どうにかなるだろう説が僕の中では割と有力です。
あと、話す+聞く については、ぶっちゃけその環境(英語しか話す人がいない環境)に身を置くと自然とできるようになるので、それはその時でいいのでは?と思っています。
別に英語ができる=仕事ができる、ではありませんし、アメリカを中心とする英語圏の人たちは小学生でも英語が話せるわけですから。
英語勉強に励むよりも、他にやるべきことはあるのではないかと考えられるのもまた一つの知識のあり方だと僕は思います。
第二言語=中国語という安易な考えは再考の余地あり
ビジネスパーソンの中には「これからは中国の時代だから、中国語を話せたら良いよね」ということをいう人も割と多くいます。
その論理自体は正しくて、これから世界は中国市場を中心に動くことは目に見えているので、第二言語として中国語が話せるとそりゃあ良いですよね、という話はその通り。
その通りなんですが、だからと言って「よーし、中国を今から勉強するぞ」と頑張ってやることに対するコスパが高いのか?というと、微妙というかもう一度考えてみたら?とは思います。その説明をしますね。
理由はいくつかあるのですが、まず1つ目の理由としては、上のように考える人が圧倒的に多いということです。
日本では既にある一定の「中国語を話せる日本人」という数はいますし、何よりも世界には「日本語を話せる中国人」がかなりの数いるわけです。
となると、今からゼロベースで中国を勉強するのってどうなの?という観点です。
2つ目は、他の言語と比較したときに「日本語を話せる中国人」と例えば「日本語を話せるフランス人」のような人と、どちらが多いでしょうか?という観点。
要は需要と供給における市場価値という観点なのですが、例えば通訳の仕事をしようと思ったときに、中国語の通訳とフランス語の通訳では、よほど特殊なスキルがない限りどう考えても「フランス語の通訳」の方が時給は高いですよね?という話。
その理由は明確に需要と供給の問題、以上。なわけです。
特に通訳でいうと「中国語が話せる日本人」よりも「日本語を話せる中国人」を採用した方が安いわけですから、自然とそちらを選択するというのが社会の常識じゃないですか?と思うのです。
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結論、無思考的に「世間がこっちだからこっち」とする思考習慣はやめてみてはいかがでしょうか?という話でした。
改めて、スキルの価値というのは市場における需要と供給のバランスで決まるのです。