くすぶりの時代

2019年10月10日社会人3年目(大阪)

いまは10月9日(水)の夜の22時頃で、東京から大阪へ帰る新幹線の中でこのブログを綴っている。
今日は朝から東京で人に会って打ち合わせをし、社内のイベントがあって夜は懇親会を終えて(少し早めに抜け出し)帰路につく。

東京行きの新幹線はいつも少しばかり気持ち軽やかで、そして大阪帰りの新幹線は何故かいつも少しばかり「ふぅっ」となる。

東京駅のビル街を歩いていると、昼間と夜とでは全く景色の見え方が違う。
スーツを着た溢れんばかりのサラリーマンたちが行き交う昼間はビジネス街・東京で、ほろ酔いのサラリーマンと赤提灯が見える夜の煌々(こうこう)とした夜のビル街は大都会・東京の重さを孕んでいると思う。

ビジネスのフィールドで生きる以上、東京はとても刺激的な街だけれど、やっぱりいつも帰りは足が重くなる。学生時代から東京に来るたびにそうだった。

そういえば先ほど新幹線の中で一通のメールが届いた。

「はじめまして。」と書かれたタイトルのメールには、東京の有名私立大学に通うという方から。

「はじめまして。大学では、孤独に読書をしています。yuttieさんのくすぶっていたころの話にいつも支えられています。就活だけでなく、人生についても、これからもよろしくお願いします。」

という内容が綴られていて、何だかその瞬間の気持ちと重なり、何ともいえない気持ちになった。と同時にすごく励まされたのは、あの頃の自分とその時の気持ちを読んでくれるあなたからの言葉が届いたから。ありがとう。

 

今の僕がフラットに大学時代に戻るならば、今と変わらずわりとダラダラと過ごす時間を生きると思う。社会に出ると多くの人はわりとダラダラとした人生を生きるのはなかなか難しかったりもするので、大学時代は大学生を謳歌したら良いと思う。

でも、大学時代の当時の僕自身はそんなことは全く思えなくて、今の自分の人生の”くすぶり”のようなものを悶々と抱えながら、人生のステージが変わるのが今か今かと思いつつ、行き場のないフラストレーションを言葉に変えながら学問にぶつけていたと思う。

今となっては若気の至りだと思うけれど、「こんな自分を評価しない社会はどうかしている」くらいに思っていた。笑 ちょっと激しいかな。

まあ、でもきっと「10年後の景色は変わる」と思いながら必死に本を読み、学問に打ち込んでいた時間は僕の人生の肥やしになっている。確実にね。あの頃の気持ちは忘れてはいけない原点だと思う。

言葉を綴っていてよかった

メールをくださったあなたのような方なら、もし嫌じゃなかったら今の感情とか見える景色とか思考とかを書き綴っておくといいと思う。

できれば匿名でもいいのでブログかなんかだといいんじゃないだろうか。

20歳前後の多感な時期に、孤独に本を読めるほど感性が尖っている人ならばきっと、いつかは言葉で誰かの背中を押す存在になれると思うからこそ、今見えている景色を綴っておくことはきっとあなたの財産になると思う。

人に見せるのが嫌ならノートでも手帳でもいいと思うから、自分と向き合える材料というかツールを持っていると、わりと人生が生きやすくなると思う。気が向いたらやってみてほしい。

思い返せば僕自身もブログを綴り始めた10代半ばの時は、その時の感情処理のツールくらいにしか思っていなかった。こんなにも長くブログを続けるとは・・

でも、自分の中にあるイロイロな気持ちを言葉に変えて綴っておいてよかったと今なら思う。その時その瞬間の感情というのは、時間が経つと消えて無くなってしまう脆さがあると思うんだ。

いつも読んでくださって、ありがとう。これからの人生もよろしく。