日本人は”真面目”なのではなく”同調圧力に弱い”だけ

2019年10月7日働き方・キャリア, 人間関係, 思うこと

「日本人は真面目だから」という言葉をしばし耳にするけれど、果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったことがあるだろうか。

例えば、大きな震災があった時に、日本人は物資の供給などに対してきちんと整列をして順番を待っていたといい、その様子が海外などでは「日本人は素晴らしい!」と賞賛されたりもした。

僕は日本人だし、日本国に生まれた人間としてそのような仲間に対する誇りというのは当然感じるのだけれど、実社会において「日本人は真面目」と一括りにする違和感というものは感じずにはいられない。。

少し前に、実家のマンションの理事会なるものに参加した記事を書いたのだけれど、あれから何度かやり取りをしつつ、世の中には本当に不思議な人たちがいるものだと感心させられている。

その理事会に参加する人たちの年齢でいうと60代以降の人たちがほとんどだけれども、わりと日本社会の縮図のような気がしていて、その現場を眺めていた時にハッと「ああ、なんだこの人たちは真面目なのではなくて、同調圧力に弱い人たちなのだ」ということに気づいた。(まあ、頭もあんまり賢くないけれど議論の外に一旦置いておく)

例えば、(僕の母親のように)会議の議論に対して反対意見を持っていても言わない、声が大きい人の発言が通る、反対意見を述べると面倒、、
自分の考えだけを気ままに述べるお年寄りの人たちと、「いいね」「その通りだ」しか言わない会議に意味があるのだろうか。

そうやって社会を見渡してみると、確かに日本企業に勤める多くのサラリーマンもそうだし、なんなら学校に通う生徒たちもそうだと思う。

僕が仕事を始めて日本の大企業と付き合う中で、会議に出席する多くの人たちは「偉い人から順番に発言を待つ」という絵に描いたような不思議な行為を「当たり前の文化」として受け入れ、かつ愚直に実践している。本当に不思議だと思う。

一斉に右倣えにしたがっていればよかった時代も確かにあったのかもしれないけれど、そんな時代はとうの昔に終わりを告げている。。。

 

例えば最近でいうと、関西電力の社長以下幹部の人たちが不正のお金をもらっていたとか、吉本興業の話もそうだし、セブンペイというコンビニ(セブンイレブン)を運営する会社の電子決済アプリのトラブルなんかもそう。

例えばセブンペイの問題なんていうのは日本企業の縮図ような事例で、あれだけの規模の開発に関わっていた人の人数というのはおそらく100人とか200人とかいたはず。(下手をしたらもっと大人数いると思う)

それだけ大人数の優秀な人たちが関わっていたのだから、誰かは確実に仕様の問題に気づいていたはずだ。10人とか20人、あの問題に気づいた人がいてもおかしくないと思う。

でも、結局はその問題はクリアされないままにアプリがリリースされて、結果不正アクセスを引き起こし、大問題へと発展した。
その問題に気づいていた人が無視したのか、上申したけれど上の方で揉み消されて無かったことにされたのかはわからないけれど…

 

学校教育現場で必ずある「いじめ問題」もそうだと思う。

学校社会のヒエラルキーの頂点にいる人が、スクールカーストの下位層の人たちをいじめ、真ん中らへんにいる多くの人たちは「傍観者」であり続けるという構造は、いつの時代も存在するのだ。

ちなみに、いじめの問題というのは学校教育世代を超えても残り続ける。

例えば大人社会になっても、多くのコミュニティには確実に「いじめ」は存在する。
どうやら人間の本能の中に、ムラ社会では誰かを標的にするということがインストールされているらしい。

いじめ問題も、ストレス社会も日本特有とは言わないまでもかなり信仰な問題であろうし、その要因の一つとして大きなのは間違いなく日本人の気質にあると思う。

日本人の若者の死亡原因で最も多いものって・・?

唐突だけれど、日本人の若者(10〜30代)の死亡要因で最も多い原因が何かご存知だろうか。

少し、考えてみて欲しい。

事故?病気?

色々あると思う。

正解は「自殺」だ。

 

厚生労働省が統計データを出している。
(ちょっと古かった)

2019年3月の日経新聞にも同様の記事が掲載されていた。こちら

 

この事実に対する評価や賛否両論イロイロな意見があると思うけれど、個人的にはやっぱり寂しいという気がする。

他の先進国では、若者の子音の第一位はもちろん「交通事故」だ。

若者は(相対的に)病気になりづらいので、先進国であるほどに病死の割合というのは減っていく。

いろんなコミュニティがあることを知ろうぜ若者よ

まとまらずに思ったことを書いたのだけれど、今の時代だからこそ悲観することなく、便利な世の中に乗っかろうよ、と思う。

例えば確かにSNSも使いようで、微妙なネット社会があることは事実だけれども、それでもやっぱりこれだけオープンになった世の中と瞬時に繋がることができるツールが揃っているのは、文明の益だと思う。

学校や、会社や、田舎の閉ざされたコミュニティだけがあなたの生きる社会ではないのだ。

もし、閉塞感に苛まれているならば、スマホ一つでいくらでも自由に外の世界のことを知り、外の人たちとつながって会話ができ、あなたは自由になることができる。

世の中にはもっともっとたくさんのコミュニティがあるのだ。もっと広い社会があるのだ。このブログを読んでいるということは、あなたはその武器を手にしている。

そんな何かを求める人たちのことを、あの日の自分と重ねながら僕は日々、文章を綴っている。

いつも読んでくださって、ありがとう。