【日記】実家のマンションの理事会に出席。世の中にはいろんな人がいるよね・・
今日の夜の18時半から、実家(親が住んでいる地元)の分譲マンションの「運営理事会」なるものに、電話による遠隔出席をしてきました。
運営理事会ってなんぞや?という方もいると思いますが、マンションの管理会社の人と、輪番制で選抜された住民(僕のマンションは特定の階ごと)で形成される会で、マンションの運営方針などを決定するものになっています。
僕の実家は2階にあるので、マンションの2階に住んでいる人たちが集まっていました。
来年は3階の人たち、その次は4階の人たち、という形で、数年に一度回ってくるものになっています。
毎年、住人から「管理費用」として幾らかを積み立てながら回収をし、1年毎にその費用の使い方などを話し合い、決定するというもの。
予算の分配を決定するのがメインなのですが、今回なぜ、わざわざ独り立ちをして大阪に住んでいる僕が参加しているのかというと・・・
理事長が決定しない!
理事長とは、理事会の中から1人、形式上の長を決定し、りん議の最終意思決定による押印をし、その年の理事会が決定しました、という内容に関する最終決定者のような立場の人です。
別に会社のように責任を負うわけではないので、することといえば、印鑑を預かり、書類に押印をし、何かあった時は理事の代表として話をする、というくらいものです。
が、これがみんなどうしても嫌なようで、決まらない決まらない。
実は8月上旬の夏休みに僕が帰省した際も、この「理事長を決めるための理事会」に(母親に連れられて)同席したのですが、そのときは人が集まらずに解散。
その後、僕の母親が2回出席し、誰もやらず(決定せず)に延期を繰り返し、今日に至りました。
ということで、議論すべき内容(ゴミ問題など・・)があるにも関わらず、何も物事が決まらないままズルズルと何ヶ月もたち、ラチがあかずに僕が遠隔参加するに至った、というのが今回の背景です。
面倒くさい・・
言っちゃあ悪いですが、みんな頭悪いよね・・笑
2chを作ったひろゆきさんが以前に言っていたのですが、頭のいい人が考えることはだいたいわかると。何故ならば、論理的に考えたり説明すれば伝わるのだと。
でも、頭の悪い人たちが考えることは予想をはるかに超えてくるのでとても面白いのだと。
納得ですよね、という話です。
今回のマンションの理事会でいうと、ゴミ問題を解決しなければならないという議題と、その方法論の検討をする必要性があるのですが、そもそも理事長が決まらないと運営が成り立たないという設定があるわけです。
にも関わらず、みんな「ゴミはどうだ」「市役所に運営を任せろ」とか「監視カメラをつけたらプライバシーが」とか、「私は仕事で忙しい」だとか、全く本題と関係がないけれど自分がしたい内容を話すだけのおしゃべり会となっていて、衝撃でした。笑
「論理的におかしくないですか?本来話すべき内容と違いますよね?」という僕の日本語はおそらくロシア語のように聞こえるらしく、華麗なるスルーを繰り返すということが実は前回ありまして。
僕はそこで学んだのです。世の中にはいろんな人がいるのだと。
僕は普段、「いま、この内容について話し合おう」といえば、その会話が成り立つ人としか付き合っておらず、無意識のうちに偏狭的になってしまっていたな、と反省させられました。
普段は「いま、話ずれていない?」と誰かがいえば「そうだね、本題とずれていたよ、すまない」という会話が2秒で行われる世界にいるのです。
でも、それが世の中一般的に見ればどれだけ限られた場所なのか、ということ。
久しぶりに自分の中に大きなパラダイムシフトが起こったきっかけでした。
まだまだ、ですね。
僕の母親が現地で出席をしていたので、「もし誰も理事長を引き受けないまま会議が次回持ち越しになりそうなら、遠隔だけど僕が理事長をやるよ」と事前に伝えた上で、「話し合いのポイントはココだと思う」「ゴミ問題はこういう話にすれば解決すると思う」ということを伝えていた影響もあり、今日は無事着地。
僕も僕の母親も理事長を引き受ける必要がなく、無事終了しました。拍手!
時々はこういう経験もいいよね。しかしちょっと疲れたなあ。。