人との会話が不得意だと悩んでいる人へ

2019年9月16日思うこと

そういえば、久々に昔のツイッターを見返していたら(と言っても3週間ほど前の投稿ですが)、僕の設置したpeingの『質問箱』への回答を見つけて、「そうだ、これを答えた後に追記しようと思っていたんだ」ということを思い出したので、ブログの方に書きます。(誰が観てくれるんだろう笑)

これは僕のTwitterの方に設置をしたpeingという質問箱で、誰でも匿名でメッセージ(や質問)ができる仕組み。

質問をされた僕は、質問の中身は見ることができますが、その質問を誰が送ったのか?ということは一切見れないので、完全匿名の質問箱として、相性のいいSNS(特にTwitter)では時々見かけますね。

この質問への回答なのですが、質問者さんは人との会話が得意ではなく、退屈させてしまっているのではないか・・?と悩んでいらっしゃるようです。
(うまくいきません、と書かれているので悩んでいるのかな?と思ったのですが、違っていたらすみません)

Twitterでは上のように回答したのですが、字数の制限もあるし、もうちょっとちゃんと僕の思うことを書いてみようと思います。

信頼できる人間が1人でもいれば御の字

そもそも「みんなを楽しませたい」と思うなんて、すごい真面目な方なのだと思います。
僕なんかは典型的な「自分さえ良ければそれでいい」というタイプの人間なので、自分が楽しければいい。人から楽しませてもらうことなんてしなくとも、自分が自分で楽しめればそれでいい、と思ってしまうのですが、この方は相手の人まで楽しませたいと思っていらっしゃるということで、すごいなあと思うのです。

僕は一人っ子なので、幼い頃から楽しいも悲しいも退屈さも全て一人で完結するような、典型的な自己完結型の子どもでした。一人遊びばっかりしていたので、今でも一人遊びが得意です。笑

だからと言ってはなんですが、僕は基本的な人生のスタンスとして「自分の機嫌は、自分で取る」と考えています。
自分の感情も機嫌も楽しさとかも、自分で取れればいいなあと思っているたちなのです。

(と、言いつつ、できないことももちろんある)

なので、質問者さんの「みんなを楽しませたい」というスタンスは素晴らしいなあと思うのですが、もう少し肩の力を抜いてみればいかがですか?とも思います。

基本的に人生は「信頼できる親友(やパートナー)の1人に出会えれば幸せ」だと僕は思っています。
親友が5人も10人もいないからといって、落ち込むことはないと思うのです。

「友達100人できるかな〜♪」という歌が昔流行りましたが、友達は100人もいらないと思うのです。
特に現代社会はSNSで人との繋がりがチープになりがちだからこそ、逆に1人でもいいから心の底から信頼できる親友やパートナーがいれば、それで幸せなのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

話し上手になろうとしなくていい

僕自身が話をすることが上手くないので、こういうことをいうと説得力がないかもしれませんが(言い訳っぽくなるかな?)別に話し上手になろうとしなくても良いのではないでしょうか。

僕は仕事柄、むしろ人と話してお金をもらうという仕事をしているわけですが、もともと学生時代までは人と話すよりは図書館に引きこもって本を読んでいるというような人間だったので、元来人と話をしたりするのが好きではないし、ましてや全く得意ではないのです。

それでも一応、人と話をしながら稼ぐという仕事をすることができているのは、話をすること以外の何かが価値になっているからだと思うのです。

ひとつは「聴く」ということ。もう1つは「情報」です。

話をするのが苦手な人は、それ以外の何かで目の前の人の信頼を得られれば良いのです。

 

逆説的ですが「自分は話がうまい」と思っている人の話は、そうではない場合が圧倒的に多い。

概して「自分は話すのがうまい」と思っている人の話の特徴は、①「長い」②「つまらない」だというのが僕が社会に出てからの経験則です。

よく話す人ほど自分の頭脳や喋りに自信を持っている場合が多いですが、大概は墓穴を掘る時というのは話すぎの場合です。
「超過」は「不足」よりも罪深い場合が多いですよね。

 

<追伸>
僕はこうして「書く」という行為を楽しんでいますが、実はそれは「話をするのが得意ではない」という理由があります。
そもそも会話が得意な人はわざわざ時間のかかる書くという行為を選択しないのです。

<追伸の追伸>
多くの人に読まれる恋愛小説家は、実はリアルな恋愛がうまくないという通説がありますが、あれと同じですね。
恋愛小説の世界に浸るよりは、現実社会で恋愛をしている方がよっぽど楽しいわけですから。

自分の不得手を受け入れて、少しずらしてみると違う世界が開けてきますよ。