良さを見つけられた数が、その人の知性である。

2018年9月16日社会人1年目(東京→大阪), 思うこと, ビジネスパーソン向け

企業のコンサルティングを仕事としてやっていると、その企業の課題というものは幾らでも見つけることが出来ます。

プロジェクトを受注するための営業トークも、同じことです。

「将来、こうなっていかなければいけないですよね。」

「ほら、こんなにも世の中が変化しているのですから。」

「例えば、ああいう企業も、こういう企業も、こんなことをやっているんです」

というふうに。

そのように、風呂敷を広げるような営業トークというのは、一定勉強すると、言葉はあれですが、誰でも話せるようななります。

どんなプロジェクトのやり方をしているのか?ということも、勉強を重ねればできるようになります。

そして、そういうトークをしたときに、「うちもそこが課題なんだよね」と出てくるというのは、実はその企業は大企業のことが多いです。

というのも、外部をうまく使うということをわかっていて、そして「自分たちはいま、ここに困っている」ということが分かるのは、

「勉強ができる学生ほど、自分はここがここが分からないということが分かる」というのと同じ原理です。

裏を返せば、「勉強ができない学生ほど、自分が分からない場所が分からない」現象と同じということです。

そして、コンサルとしてそのような営業のやり方をしていると、一生、業者としてうまく使われて終わりです。

企業からすると、要は「自分たちにできないところ、時間と手間がかかるところを任せよう」ということで、それが終わったら関係性の終わりです。

気づいていないのは本人だけ、というのはシャレになりません。

良さを見つけられることが、その人の知性

逆に、大企業ではなくなるほど、あらゆることに困っているはずなのに「うちは困っているところは、そんなにないんですよね」という話になったりします。

もちろん、そんなことはないのですが。

むしろ、外部の僕らからすると「ここが課題ですよね?」というのは、いくらでもいうことができます。

当たり前です。他人の欠点なんていうのは、外からだとよく見える。

でも、じゃあ逆に、その企業の良さってなんだろう?ということなんです。

外部から見て、それがきちんといえますか。

コンサルとして内部に入ったとして、それがきちんと伝えられますか。

コンサルの素質というか、営業でも同じことだと思うのですが、その企業の「困り事を解決する」というのはもちろんそうです。

その中で、その企業「ならでは」を見出していくのは、とても知性が求められる事だということ。

例えば、一流のコピーライターというのは、

「こんな商品、誰が買うねん」

というような商品にも、他の人とは違った角度から光を当てて、良さを見出し、それが伝わるようなコピーを書くんです。

一流の広告代理店やクリエイティブ集団に、企画料と称して莫大なフィーが支払われるのは、その領域の仕事というのは誰よりも知性と才能が求められる領域だからです。

翻って。

やっぱり、どれだけ良さを見出して、輝かせられるか。

というような知性は、教養ある相手にはしっかりと見抜かれています。当たり前です。

その教養が滲み出た瞬間に、「いいね、それ。うちでもやってよ」という話になるわけです。

それがただ、それぞれの仕事に置き換わって、コンサルならプロジェクトの受注。営業なら、商品の受注になるだけです。

という事に気づけたことは、僕自身の一次情報としての財産です。