人生のステージが変わる瞬間は、どん底から見える景色を見上げた時。
最近、立て続けに自分史のような記事を書いています。
この記事で、子どもの成長とか教育とかに大事なものは「家庭内の語彙力」だよね、というようなことを書きました。
そのきっかけから、自分はどうなんだとかいうことを考えはじめ、自分の10代までを一気に思い出していました。
僕の人生のステージが明らかに上がったなあと感じた瞬間は、10代の後半です。
なんども書いていることですが、あの時が僕の人生の中での割とどん底だったと思うんですね。
その中で、この人生の使命というものを考え、授けられたものがあるという感覚が降ってきました。
そう、感覚が降ってくるんです。
人生の使命というと、さぞ大層なものに聞こえますが、ようは「どう生きるか」ということです。
普段、人は「どう生きるか」とか「今この瞬間が未来であり、人生である」というような感覚を生きることはほとんどありません。
ほとんどというのは、ごくたまに、その時間感覚の中で生きている人がいるからです。
そのごく少数の人たちには、ある共通点があります。
その1つが、半端じゃないどん底を経験しているということなんですね。
僕は幸いにも、10代の時にその経験をすることができました。
そして、人生のステージが変わりました。
今、僕が生きているステージは、どこか懐かしいのです。
「いつか、たどり着きたい」ではなく、「行くことがわかっていた」という領域に近いです。
むしろ通過点なわけで、だからこそ懐かしいのです。
この感覚がわかる人というのは、どのくらいいるのだろうか。
感覚が降ってくるという感覚を大切にする
こうして文章を書くときもそうです。
MacBookに手を置くと、知らずに書き始めることができます。
そして、体が疲れるまでずっと書き続けることができる。
何を書くかは、書き始めてみないとわからないことがほとんどです。
書くべきことは、降ってくる。
降って着た感覚を手が叩いて、そしてそれが文章になってここに映し出されるわけです。
そういう、自分の中に入って行くような感覚を、大切にすべきです。
1年が経ちました。
もうそろそろ、いろんな意味でいろんなことに飽きてきます。
何に飽きるかといえば、今いるステージに飽きてくるんです。
変化し続けることは大切だと思いますが、僕の場合は、変化する=飽きない、ではないんですね。
ステージが変わっていかなければ、飽きるんです。
僕の問題もあります。
そして、環境に求めるものも大きいでしょう。
いろんな意味で、自分の感覚を研ぎ澄ますこと。それを大切にしたいなと思っています。