人生のステージが変わる瞬間は、どん底から見える景色を見上げた時。

2018年12月2日日々徒然

最近、立て続けに自分史のような記事を書いています。

この記事で、子どもの成長とか教育とかに大事なものは「家庭内の語彙力」だよね、というようなことを書きました。

そのきっかけから、自分はどうなんだとかいうことを考えはじめ、自分の10代までを一気に思い出していました。

僕の人生のステージが明らかに上がったなあと感じた瞬間は、10代の後半です。

なんども書いていることですが、あの時が僕の人生の中での割とどん底だったと思うんですね。

その中で、この人生の使命というものを考え、授けられたものがあるという感覚が降ってきました。

そう、感覚が降ってくるんです。

人生の使命というと、さぞ大層なものに聞こえますが、ようは「どう生きるか」ということです。

普段、人は「どう生きるか」とか「今この瞬間が未来であり、人生である」というような感覚を生きることはほとんどありません。

ほとんどというのは、ごくたまに、その時間感覚の中で生きている人がいるからです。

そのごく少数の人たちには、ある共通点があります。

その1つが、半端じゃないどん底を経験しているということなんですね。

僕は幸いにも、10代の時にその経験をすることができました。

そして、人生のステージが変わりました。

今、僕が生きているステージは、どこか懐かしいのです。

「いつか、たどり着きたい」ではなく、「行くことがわかっていた」という領域に近いです。

むしろ通過点なわけで、だからこそ懐かしいのです。

この感覚がわかる人というのは、どのくらいいるのだろうか。

感覚が降ってくるという感覚を大切にする

こうして文章を書くときもそうです。

MacBookに手を置くと、知らずに書き始めることができます。

そして、体が疲れるまでずっと書き続けることができる。

何を書くかは、書き始めてみないとわからないことがほとんどです。

書くべきことは、降ってくる。

降って着た感覚を手が叩いて、そしてそれが文章になってここに映し出されるわけです。

そういう、自分の中に入って行くような感覚を、大切にすべきです。

1年が経ちました。

もうそろそろ、いろんな意味でいろんなことに飽きてきます。

何に飽きるかといえば、今いるステージに飽きてくるんです。

変化し続けることは大切だと思いますが、僕の場合は、変化する=飽きない、ではないんですね。

ステージが変わっていかなければ、飽きるんです。

僕の問題もあります。

そして、環境に求めるものも大きいでしょう。

いろんな意味で、自分の感覚を研ぎ澄ますこと。それを大切にしたいなと思っています。