大人というのは、単なる容れ物。中に何を入れるかは人それぞれ
2017年を終え、新たな1年の始まりです。
特段、何かが変わった感じはしないのですが、それでもやはり、新たな年が開けるというのは、良いものだという実感だけは僕の中にあります。
2017年の3月に、4年間通った地元の国立大学を卒業し、僕は社会人としての新たな一歩を踏み出しました。4月のことです。
と同時に、色々な環境の変化がありました。
まず、初めての独り暮らしを始めたこと。
今までは実家暮らしだったわけで、ご飯も、掃除も、洗濯も、文字通り全てのことが初めてでした。
4月、会社が借りてくれた東京のマンションに居たときも、もう何が何だかわからないなかで、必死に一歩ずつ踏み出していました。踏み外さないように、という意識だけを強く持って。
5月。初めての大阪で、初めての独り暮らし。
持ち物は敷布団一式と、キャリーケースだけ。あとはダンボール2箱と、気持ちばかりの本一式。
それだけで引っ越してきて、何もない広々とした部屋を見た時の不安と、自分の街となった、ついこの前までは名前さえ知らなかった街並みを歩いている時の、ある種特別な高まりというのは、今も忘れません。
そして、仕事です。
社会人として初めて入った組織は、何千人という大企業の中の、10人そこらのコンサル部隊。新卒は僕と、もう一人の同期だけ。
圧倒的に難しい仕事に、優秀な先輩たち。対峙するお客さんは、経営者。
もう、何が何だか分からない、怒涛のような時間が過ぎていきました。
それでも、初めて企業人として働いて、給料をもらい、自分だけで生活を営んでいくということに感動を覚えました。
半年前まで、包丁すら握ったことがなかった僕が、料理をするようにまでなりました。
毎週末、家の掃除をし、洗濯をし、平日5日分のワイシャツにアイロンをかける。
できることが一つずつ増えていく中で、丁寧に今を生きているんだという実感が、着実に僕の背中を押してくれ、一歩ずつ前に進んでいくことができたような気がします。
大人になるということ
大人になるということは、誰にでもできるものではないのかもしれません。
社会人というのは、社会に出れば皆、社会人です。
でも、本当の意味で、自分の人生を生きる「大人」になるのは、そう簡単なことではないのかもしれない。
あるいは、大人というのは、単なる容れ物なのかもしれないとも思う。
その容れ物の中に、何を入れるのかというのは、人それぞれなんです。
いろんな経験をして、感情を味わって、気づいたことがあって、感じたことがあって。
そういった人生の一つ一つを丁寧に、自分の中に入れていくということ。
僕は今、そういう時間を過ごしているんだと感じます。
最後に。
自分だけではなく、誰かを想うということも、知ることができた。
家族や友人、仲間。
そして、自分が本当に好きな人ができて、どうしようもなくなって、時には背伸びをし、かっこ悪くなったりもした。
僕の今をまっすぐに見てくれるからこそ、今の僕があるんです。
2018年は、どんな1年が待っているのだろう。
今を全力で、存分に味わって、生きてありたいなと思います。
僕らしく、ね。
いつも、ありがとう。