僕にとっては浪人時代が人生のモラトリアムだった

2018年10月10日学生時代

金曜日の夜の7時前のいま大学の図書館にいます。寒いですね、しかし。

今日は比較的ゆっくりで、午後は本を読んだりネットを見たりしつつ、卒論をまとめています。

図書館の外に出て思ったのですが、なぜか今日は大学に人が多い。

制服を着た子たちが多いので気づきましたが、明日は大学の入試なんですね。

国立大学なので、全国一斉に明日明後日が試験ですよね、確か。

今年もまた、その時期がやって来ました。

僕は4年前にはその立場で、そして今はもう僕は大学を卒業しようとしています。

4年前の入試前は何をしていたかな?ということを考えていました。

僕にとっては浪人時代が人生のモラトリアムだった

このブログでも何度か、僕が高校生の頃に体を壊してしまって、リアルタイムで受験をすることができなかったということは書いていますよね。

結局僕が初めて受験をしたのは、センター試験も含めて、いまここにいる国立大学を受験した20歳になったばかりの頃でした。

2浪ということになりますが、それが初めての受験だったんです。

特に、受験をする2月の前年の11月までは病院に行ったり来たりをしていて、その11月頃に手術を終え、完全にとはいかないまでもやっと今と同じ状態にまで回復することができました。その10月末か11月頃の手術が、検査を含めると5回目くらいの手術でした。

16歳、高校2年生の夏から20歳で大学に入るまでのその数年間は、僕の人生にとって冬の時代であったと同時に、ある意味人生のモラトリアム的な時代でした。

何にも縛られず、心と頭の中はどこまでも自由でした。

その時は多少のしんどい(身体的な痛みとか)思いもありましたが、今はこんなにも元気になっているわけです。

その期間に考えたことや、読んだ本、思考や哲学というのは今の僕の大きなベースになっている。

4年前の2月頃に何をしていたのか?という話に戻ると、受験勉強なんていうのはほとんどしていませんでした。笑

ぶっちゃけ、受験すれば受かるんです。どれだけタイムラグがあっても、過去に勉強したものは残っています。たぶん、僕が明日もう一度うちの大学の二次試験を受けても、受かるはずです。

僕が受験勉強を高2の真ん中くらいにはほとんどやっていた、という話を書いたことがありますが、それは割と本当の話で、僕はそこから先高校に一切通っていないけれど、受験勉強は一切とは言わないまでもほとんどしていません。

特に、受験前年の11月、要は数ヶ月前の段階ですが、そこで身体も元気で今年は受験できる!となったときに、センター試験用に社会で地理の本を読んだり、古典の古文漢文の参考書をパラパラと見たり、それくらいでしょうか。

あとは、年が明けてセンター試験用の赤本を買って数年分解いてチェックして、終わりです。英語も数学も理科も終わっているわけで、国語も現代文の対策はいらないわけですから、そのくらいで十分なわけです。

(社会はそれまで一切やっていなかったので、地理の参考書を2冊2周ずつ読みました)

1月でセンター試験が終わると、あとはもう普通に小説を読んだりしていました。あとはブログを書いたり。

うちの大学はまあ国立ですが、二次試験はそんなに難しくないので、あとそんな受験の1月前とかに詰め込むものでもない(と当時の僕は思っていた)ので、大学に入ったら読みたい本を買って(長編小説とか英語の本とか)、それを読んでまったりしていました。

先ほど図書館の外で高校生たちが「赤本がね、こうなんだ」とかいう話をしていましたが、赤本は別に受験前にやるものではないからね、という。笑

高校に上がった段階で志望校の赤本は買ってきて、それに合わせて受験勉強をチューニングしていくわけで、あるいは演習量を確保するために同水準他大学の赤本を高3の時期に解くとか、そういうものです。

という、僕にとってなんとも懐かしいことを思い出しました。10代かあ。この大学時代の4年間は僕にとって4年よりもずっと長く感じられる、良き時間でした。

それもきっと、浪人時代のモラトリアム的な時間というか、ロマンチックアイロニー的な時間、要は何もせずにぶらぶらする時期があったからなんだと思います。

だからこそこの大学時代も、これ以上ないくらいのんびりと過ごさせてもらいました。

そろそろ、環境を変える時期なんですね。