人付き合いが悪い学生時代を生きる。

2019年1月27日学生時代, 大学時代

僕は10代の頃、すごく人付き合いが悪い子どもでした。

中学生では中学生なりの、高校生では高校生なりの、人付き合いというものがあります。

10代の頃は、社会がすごく狭い。自分の周りの、たかだか一クラス分くらいのコミュニティで、社会が閉じている。だからこそ、友達付き合いを含め、クラスの中で、いろいろな人間模様が描かれるんです。そこは社会の縮図だから。

僕は、ほとんど友人という存在ができなかった。

それこそ、中学時代にできた親友が1人いて、そして高校時代は0人です。

クラスや、部活の中でも、好きな人としか話をしないし、それ以外のほとんどの人とは付き合わない。

もちろん、クラスの中で話はするけれど、深く話をしたり、時間を共有することはしなかった。というか、できませんでした。

高校時代、僕の高校はお昼ご飯は弁当でした。学校にある食堂に行く人、登校時にお弁当を買ってくる人、親が作った弁当を持ってくる人。いろんな人がいました。

弁当組は皆、クラスの中で机を囲んで、何人ものグループになってご飯を食べていました。でも僕は、それがどうしても嫌だった。嫌で嫌でたまらなかったんですね。どうして好きでもない人たちと一緒に、ご飯を食べなければならないのかと。

思い返せばすごく尖っていると思いますが、僕は誰とも話さないまま1人でご飯を食べていました。クラスの中の自分の席に座って、です。

10分もかからずに昼食を食べた後は、上の階にある図書館にいって、ずっと1人で本を読んだり、勉強をしたりしていました。これが僕の高校時代。

僕の通っていた高校は、中高一貫校の私立でした。

中学時代にできた親友がいて、高校時代はその彼とは別のクラスでした。

時々、その彼が僕のクラスにやってきて、2人で一緒にご飯を食べることはしていました。

そのときは、1時間あるお昼休みは、ずっと2人で話をしていてた。

彼もまた、孤独だったんですね。そして、彼もまた自分のクラスに居辛さを感じていたんだと、今となっては思います。

その彼とは、大学生になった今も続いています。彼が早稲田に行った後も、帰省の度に会うことをしていた。なぜならば彼もまた、帰省したときに会う友人というのが僕以外にいなかったからです。

そして彼は今年、大学を卒業して社会人になりました。

僕のいる場所であったり、あるいは僕が東京に行って会ったりを繰り返していて、でもそれが半年に1回だったり、あるいは1年に1回だったり。会う回数とか頻度とかではなくて、しかも1年間全く連絡を取らないことも普通にあって、その中で僕らは僕らで、自分の道を生きていた。

だからこそこれからも、お互いに成長していきたいなと思っています。

お互いが、孤独に生きている。

僕は大学時代、本当に一生関わっていくと思える人に出会うことができました。

ほんとうに、大切な人たち。

孤独に生きていて、それでも人を信じようとしていて、そして僕を信じてくれる。そんな生き様の人がいます。

今、すごく深く関わっているんだけれども、ちょっと先の未来では、別の場所で生きていく。

別の場所で生きていくんだけれども、どこかで繋がっていて、そしてその縁は一生続くんだと思うんです。

たとえ1年に1回しか連絡を取らなくて、3年に1回しか会わなかったとしても、それでもお互いを心から尊敬していける人。

愛に溢れていて、周りの人を幸せにする。多くの人たちに影響を与える存在になる。そんなかっこいい生き方の人がいます。

心の奥の方、根っこのところが繋がっていて、お互いがお互いを尊敬している、そんな仲間がいます。

10年先の未来に、お互いが世の中に影響力を持つようになっているんだと。より良い世界に貢献する生き方をしているんだと。

大学時代も、人付き合いが悪いという僕の生き方は変わっていませんが、そんな中でも出会えた人がいて、そして続いていく人がいる。

それだけで僕は、ここに生きていてよかったなと思えるんです。

これからも、僕は僕で生きていきたい。ありがとう。