小説(物語)が自分を通過していくこと、それらが入っていくことの感覚。

2019年1月4日日々徒然

小説(物語)が自分自身の中に入っていく、確かな手応えのような感覚が今はある。

ひとつの言葉、一行の文ではなくて、文章全体として、物語が語ることを、わりとうまく捉えられるようになってきた気がする。

それまでというのは、ただいくつもの物語が、単なる文章として過ぎ去っていくことを繰り返していたのかもしれない。

今もなお、まだきちんと捉えられない世界観の方が大きいけれど。

まあ本当の意味で、物語が語るものを自分の内側に組み込めるようになるまでには、ある程度の時間が必要だし、それまではなるべくたくさんの文章と物語を自分のうちに通過させていく必要があるのだと思う。

同時に、物語だけではなく、現実の社会をきちんと見つめること。

そしてそこにあるもの、そこで起こっているものをひとつひとつ受け止めることを積み重ねて、知らず知らずの間に自分の中に土壌というか、骨格みたいなものが出来上がっていくような気がするんです。

そういうことを繰り返しているうちに、最初はわかりやすい小説や、すぐに読むことができるビジネス書を中心に読書を広げていっていたのが、今度はもっとどっしりとした世界観の物語や、大きな骨格を持った枠組みの書籍というものを、深掘りしていきたいという自然な欲求が湧き上がってくる。

どちらが良いとかいうものではないが、どちらも自分の内側を作っていく重要なもののような気がしてならない。